『真珠湾』と『HIROSIMA』

ccg2009-12-07

 真珠湾攻撃が映像メディアに取り上げられる時、必ず映し出されるのが、激しく黒煙を上げながら沈没しようとする、「戦艦アリゾナ」だ。そのアリゾナは、今でも同じ場所に沈んでいる。そしてそのアリゾナの真上には、アメリカにとっての太平洋戦争の象徴的存在となっている、「アリゾナ記念館」が浮かんでいる。
米軍の小型フェリーで渡ると、すぐ手の届きそうな海中に横たわる、錆付いたアリゾナの船体が観られるのだが、驚くべきことに、その中にはいまだに1000柱を超える遺骨が残されている。アメリカの歴史の中で、唯一、国土を攻撃された「真珠湾」は、それ自体がアメリカの国旗、国歌と同等の、アメリカンアイディンティティーを補強する、壮大なモニュメントでありまた、単に戦死者を悼むだけではない国家護持を死者に託す、怨念の宿る「聖地」でもあるのだ。
 彼らは原爆投下に対する言い訳として「リメンバーパールハーバー」という合言葉を捏造したのではない。アメリカ人にとっては、「HIROSIMA」と「真珠湾」は同等であると考えるべきなのだ。死者の数で比べることではない。
 唯一つ違うのは、日本人が原爆ドーム反戦平和の象徴として捉えなければならないとしているのに対し、アメリカでは正義の名の下に戦うことの不可避性を象徴しているように感じられるところだ。[no more]と、[remember]の差は大きい。事実、アメリカ太平洋艦隊は、母港を出撃するたびに戦死者に送られ、帰還するたびに戦死者に迎えられるのだ。【M】

『坂の上の雲』と国民病

ccg2009-12-01

坂の上の雲』を読んで、思うことはたくさんあるのですが、どうしても解らないことは、なぜ、第二次大戦後日本人は、日露戦争の勝利を過小にしか評価しなくなったのだろうかということです。一度戦争に負けてショックを受けたからといって、それ以前に勝ち取った、世界に誇るべき勝利にまで遡って、「懺悔」する必要があったのでしょうか。 「そんなことはない、ただ関心が無かっただけだ」、と云われるかもしれませんが、大きな戦争に負けたのであれば、その前に勝利した戦争は、逆に過大に評価したくなるのが普通の感性なのではないでしょうか。

 事実、現在の日本軍内部では、奉天会戦の日を「陸軍の日」、日本海海戦の日を「海軍の日」として、静かに内祝いのようなことをしているだけで、国民的な戦勝記念式典などの行事は一切行われていません。関心が無いのではなく、思い出したくないのです。また、単に忘れっぽい国民性なのだという考え方も、説得力はありません。なぜなら、8月15日には偏執的な拘りを見せるからです。第二次大戦の敗戦だけではなく、国民的な大勝利に終わったはずのあの戦争も、われわれにとっては「トラウマ」なのでしょうか。

 私は、なぜ日本人がそういう心理状態になってしまったのかが解き明かされなければ、「司馬遼太郎史観」を肯定することも、否定することもできないのではないかと考えています。もっと大袈裟に言えば、われわれ日本人は、自らの近代史を、いつまでたっても「相対化」することができないのではないかとも思います。
 しかしここにきて、にわかに、『坂の上の雲』ブームが訪れ、国民の日露戦争に対する評価が大きく変わる可能性もでてきました。しかし、自らの精神の病理を隠蔽したまま、楽天的に「日露戦争大好き」状態になったとしたら、その病気は治癒に向かっていると捉えてもいいのかあるいは、逆に悪化し、「躁鬱」が激しくなったと捉えなければならないのかは、だれにも判らないのでしょう。【M】

『坂の上の雲』と『プロジェクトX』

ccg2009-11-29

 批判の多い、司馬遼太郎史観は、明治はいいけど昭和はだめ、という歴史観です。判りやすい考え方としては、日露戦争と第二次大戦を比べてみることですが、特徴的なことは、日露戦争はモダンな戦争だったのに対し、第二次大戦は、ロマンティックな戦いだったということです。日露戦争の時代を扱った 『坂の上の雲』は、壮大な歴史「ロマン」小説です。でもそれは、たとえばNHKの『プロジェクトX』に登場する男達に、ロマンを感じるという類の「ロマンティシズム」なのであって、第二次大戦のような、「デカダンス」的ロマンティシイズムとはぜんぜん違うものです。司馬遼太郎が、「明治はいいけど昭和はだめ」と断じる理由はそういうところにあると思います。

 日露戦と第二次大戦の決定的な差は、命の「重さ」に対する感性の差だといえると思います。これは、「司馬遼太郎史観」を議論するとき、実は一番重要な概念ではないかと思っているのですが、本当の「ロマン」は、緻密な戦略と戦術、つまり「モダン」に戦ったその先に感じられる感性です。そう考えると、第二次大戦の戦い方は、そういう意味でのロマンではなく、「デカダンス(退廃」的感性が働いたものだと思います。必死になて、国民と国家が「死なないため」には、どうしたらいいかということを「モダン」に考えた時代が、明治であり、それが希薄化してしまったのが昭和の時代だと司馬遼太郎は感じたのではないかと思います。

 「司馬遼太郎史観」の正当性は、今に至っても『坂の上の雲』が読まれ続け、異例のドラマになったりすることだけで証明されていると思います。なぜなら、国民の多くが今、「必死になて、国民と国家が「死なないため」には、どうしたらいいかということを「モダン」に考えた時代」ではくなっていると感じていることが、そうさせていると思うからです。【M】

落ちこぼれ国家のための「行政刷新会議」見聞録

ccg2009-11-17

 休日出勤が続いたので、月曜の午前中に休みを取り、「行政刷新会議」を見学してきました。甘いセキュリティーチェックを受け住所と名前を記入した後、スリッパを借りて高校の体育館程度の会場に入ってみると、「関西空港補給金」問題など、話題になりそうな議題が多かった割には意外と傍聴者も少なく、3箇所に分かれたワーキンググループでは淡々と議論は進み、審問を受ける行政の側も、だまって評決を受け入れていました。
 しかし、資料をチェックしつつまじめに議論を聞いていると、やはりこれは画期的な試みであることが感じられました。たとえば「関空問題」では、これまで90億円だった補給金を来年度は一気に160億円要求するものでした。しかし行政側の説明では、その内容はほとんど吟味されていません。例えば、伊丹、神戸の2空港との関連について質問されても、「関空は国際線中心、伊丹は国内線中心の都市型空港、神戸は近隣住民のためのローカル空港として整備してゆく」という、まったくこれまでと変わりのない内容説明でしたし、なぜ70億追加が必要なのかということについても、「70億あれば、空港使用料を、香港に近づけられる」などと言っていました。つまり毎年160億補給してくれないと関空は維持できないと言っているのです。
 僕は、もう少し官僚という人たちは、緻密に物事を考える人たちだと思っていました。しかし、予算要求を見る限り、「とりあえず口当たりのいい事業名を付けて、予算を確保してから内容を考える」みたいなことが実際に行われているんですね。仕分け人達が、細かい内容に踏み込んだ質問をしても、「それはまだこれから」という返答しかできないでいる姿を、他の仕分け作業でも何度も見ました。

 しかし問題は、もっと深いところにありますね。例えば関空問題はどう考えても、行政の責任ではありません。必要も無い空港をコンセプトもないまま作り続けたのは、明らかに政治(立法府)です。官僚はそれの尻拭いをしてきたに過ぎず、見返りに「天下り」という、食いっぱぐれのない身分を約束してもらっていただけなのです。「160億の要求は、ただの延命措置だ」と、女仕分け人は批判していましたが、官僚のできることはそれ以上にはありません。指針を示すことができなかった「政治屋」の責任が一番重いのです。
 今回の行政刷新会議は、おそらく先進国にあっては非常に稚拙で情けない会議なのだろうと思います。根底にあるのは、「国民のための政治行政」ではなく、もっとレベルの低い所の、「地に落ちた信頼の回復」だと思います。つまり、われわれは追試を受けさせられる、「落ちこぼれ生徒」のようなものなのです。みなさん、時間があったら、「行政刷新会議」を是非見に行って下さい。日本の作り上げてきた政治、行政機構が、いかに機能不全に陥っているかが分かるし、そのことに官僚たちも完全に諦観してしまっている姿が目の当たりにできます。「本当にヤバイ!」ということが実感できますよ。【M】

天皇陛下御即位二十年をお祝いする 「 国 民 祭 典 」

ccg2009-11-13

天皇即位20年を祝って、政府主催の祝賀行事と、財界有志主催の祝賀イベントが行われた。それは少し前のように、政治色を感じざるを得ないようなものではなく、長閑で和気藹々としたものだった。しかし、なぜか舞台上で提灯を振らされる天皇を眼にしたとき、それを祀り上げることの意味など考える知能の無い国民との、奇妙な癒着というか、馴れ合いというか、気持ち悪い空気(共同幻想?)だけが伝わってきたように感じた。
 「天皇陛下には親しみを感じる」とごく普通に思っている国民の多くは、実は天皇を「スケープゴード」として差別していることに、あるいは都合よく利用させてもらっているだけの対象であることにまったく無自覚なのだ。たとえばそれは、天皇の「埋葬」のされかたに象徴的に現れる。
 以下、ずいぶん前にコメントしたものですが、再掲載します。
 

─「天皇家の陵墓「多摩御稜」へ行くと背筋が凍る思いがする。特に近頃の皇位継承騒動を通して、愛子ちゃんや母親の雅子さんのことに想いを馳せると、その感を強くするばかりだ。実際に目の当たりにすると、天皇皇后の埋葬の仕方は無気味というか異常であると言うほかはない。遺体は火葬されることはなく、棺はけして朽ちることのない銅板で作られ、蓋は隙間なく溶接される。そしてその棺は地中深くに埋められ、小山ほどもある盛り土がされたあとその上に石を敷き詰めてしっかりと固められてしまうのだ。 実はこれは典型的な古代の王の埋葬の仕方である。王は御世の時代の全ての「悪」を背負わされ地中深くに埋められるのだ。皇太子はもちろん、雅子さんも、場合によっては将来、愛子ちゃんも地中深くに閉じ込められ、天国に逝くことは許されない。
 まるで古墳を思わせる陵墓は、驚くべきことに、大正天皇の死から復活したものだ。明治政府は単純に王権の利用を考え、古代の習慣を復活させただけなのだろうが、平成の世になっても古代の残酷な埋葬を承認しつつ、「愛子様天皇になってもいいんじゃないの?」という言葉が自然に世論を形成している姿を観るにつけ、浅田彰が昔言った、「土人」という言葉を思い出す。」─【M】

鬼才黒木和雄 『美しい夏 キリシマ』

ccg2009-11-10

かつては鬼才と呼ばれた映画監督黒木和雄の生れた日、その代表作、『美しい夏 キリシマ』 を観る。 以前このブログにも書いた、『父と暮らせば』 と、『紙屋悦子の青春』 と合わせて、三部作を構成している。 いずれも、戦中、終戦後を庶民の立場から描いた、反戦映画だ。 反戦と言っても、政治色はなく、戦争に巻き込まれながらも淡々と生きる庶民の姿だけが描かれている。 
 そのなかでも、『美しい夏 キリシマ』 は、黒木和雄渾身の一作といって間違いないだろう。
黒木和雄の精神の中にずっと仕舞い込んできた人生の「汚点」、その 「汚点」 に正面から向かい合った作品が、この 『美しい夏 キリシマ』 なのだ。

 黒木和雄は少年時代、空襲してきたグラマンの機銃掃射で、親友を亡くすという経験をもっている。 その時すぐ隣を歩いていた黒木は、恐怖のあまり、「頭をザクロの様に割られ」ながらも、助けを求めすがってくる親友を見捨て、逃げてしまったのだ。 映画は、その後の、終戦の年の夏の、少年の心の葛藤を描く。 
 激戦の沖縄が陥落し、いつアメリカが上陸してくるか判らない南九州(キリシマ)には日本軍が集結している。 しかしキリシマの麓では、北九州を攻撃するのであろうグラマンの編隊が、何事もないかのように、ゆっくりと、青空のなかを飛び去ってゆく日々が続くばかりだ。
 ─起こるべき「事」が、何も起こらない─。 
密かに親友と同等の「破滅」を期待する少年の心には、いつまでつづくのか判らない、のどかな美しい夏の風景が、親友からの静かな責め苦のように感じられるのだ。
 結局、戦争など起こらなかったかのように、キリシマの麓では、終戦を迎える。 死ぬことも、仇を討つこともできなかった少年は、その葛藤を、心の奥深くに仕舞いこむ他はなかったのだ。

長い日本の映画史のなかでも、これほど美しい映画は稀である。 かつてはドキュメンタリー映画作家として名を馳せた黒木和雄が、これほどまで耽美的な映画を撮るとは、誰が予測しただろう。 『美しい夏 キリシマ』 と合わせ、『父と暮らせば』 、『紙屋悦子の青春』、この3作は必見である。【M】

「教育勅語」的感性

ccg2009-11-06

教育ニ関スル勅語」(教育勅語)明治二十三年十月三十日
■朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ恕yヲ樹ツルコト深厚ナリ我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ<美>ヲ濟セルハ此レ我カ國體ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス(以下省略)

─「私の思い起こすことには、我が皇室の祖先たちが国を御始めになったのは遙か遠き昔のことで、そこに御築きになった徳は深く厚きものでした。我が臣民は忠と孝の道をもって万民が心を一つにし、世々にわたってその─美─をなしていきましたが、これこそ我が国体の誉れであり、教育の根本もまたその中にあります」─(以下省略)


日本人にとっての「誉」は、営々として築いてきた精華、─我が國體(国体)─そのものにあるのではなく、それを俯瞰する─《美》意識─の側にある。特徴的なのはその美が、例えば、かつてハイデガーゴッホの描いた農民の靴に感じた「美」とは全く次元を異にしていることだ。本来、国家が営々として築く歴史には、農民の靴のような実存的な「強さ」が不可欠であり、そして国家は、その結実として「我カ國體ノ精華」こそを誉として強調するものではないか。しかし日本では、歴史はひとつひとつ積み上げ【制作】してゆくものではなく、一遍の「絵巻物」のように、時間の流れと共に【生成】するものであり、そしてそこから俯瞰されるものは、たとえそれが一時期、辛酸をなめるような事があったとしても、全体としては調和の取れた世界であり、美しいのだ。【M】