「教育勅語」的感性

ccg2009-11-06

教育ニ関スル勅語」(教育勅語)明治二十三年十月三十日
■朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ恕yヲ樹ツルコト深厚ナリ我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ<美>ヲ濟セルハ此レ我カ國體ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス(以下省略)

─「私の思い起こすことには、我が皇室の祖先たちが国を御始めになったのは遙か遠き昔のことで、そこに御築きになった徳は深く厚きものでした。我が臣民は忠と孝の道をもって万民が心を一つにし、世々にわたってその─美─をなしていきましたが、これこそ我が国体の誉れであり、教育の根本もまたその中にあります」─(以下省略)


日本人にとっての「誉」は、営々として築いてきた精華、─我が國體(国体)─そのものにあるのではなく、それを俯瞰する─《美》意識─の側にある。特徴的なのはその美が、例えば、かつてハイデガーゴッホの描いた農民の靴に感じた「美」とは全く次元を異にしていることだ。本来、国家が営々として築く歴史には、農民の靴のような実存的な「強さ」が不可欠であり、そして国家は、その結実として「我カ國體ノ精華」こそを誉として強調するものではないか。しかし日本では、歴史はひとつひとつ積み上げ【制作】してゆくものではなく、一遍の「絵巻物」のように、時間の流れと共に【生成】するものであり、そしてそこから俯瞰されるものは、たとえそれが一時期、辛酸をなめるような事があったとしても、全体としては調和の取れた世界であり、美しいのだ。【M】