10月26日は「暗殺の日」

ccg2009-10-26

10月26日は、朝鮮半島に関わる二人の人物が、同じ「暗殺」という方法で殺された日だ。 初代韓国統監府統監、伊藤博文と、韓国大統領、朴正煕(パク・チョンヒ)。 
元々は武士と軍人という立場だったが、共通していることは、二人とも、優秀な実務家で、官僚的素養を持っていたことだ。 伊藤は、大政治家、大久保利通の敷いた、中央集権路線を着実に実行に移し、晩年は、ナショナリスト西郷隆盛の悲願だった朝鮮半島の植民地化を進め、猛烈な反対にさらされながらも、当時の日本の国家予算の三分の一をつぎ込んで大規模なインフラ整備をおこなった。 
かつて日本の陸軍士官学校に学んだ朴正煕は、南北強調路線を敷いていた、李承晩を軍事クーデターで退陣に追い込み、かつての日本の満州支配を参考に、強力な国家社会主義体制をつくって、「漢河の奇跡」といわれる経済発展の基礎を作る。 その後軍部を背景とした高圧的な経済政策で、韓国の高度成長を達成した、全斗煥(チョン・ドファン)、盧泰愚(ノ・テウ)は、朴正煕の陸軍時代の部下にあたる。

 
 ■日本の場合特徴的なのが、反近代派の抵抗が、組織的政治的に行われたことがなく、いずれも「暗殺」という方法を採っていることだ。 明治維新以降、常に経済(洋才)が優先され、民族主義(和魂)が台頭することがなかった日本では、反近代勢力はそのまま小規模なゲリラ組織となるしかなかった。近代とはそういうものだと思うかもしれないが、じつはこの日本の状況は特殊なことで、世界のほとんどの国で近代化に失敗した理由は、洋才の受け入れをナショナリズムが組織的に拒んだからだ。唯一日本のナショナリストだけが、近代化には影響力の小さい、ゲリラ戦法しか採れなかったために、日本の近代化は成功した。
 しかし問題は、一人一殺的な暗殺を手段としたとき、近代化は止むことはないのだが、まず大者からやられるために、どうしても近代化を仕上げる段階になると、その担い手は小者だけということになってしまう。 ある意味、伊藤博文もそうなのだが、例えば、最低の陸軍にしてしまった「山県有朋」、モダニスト石原莞爾を失脚させ、永田鉄山を暗殺してしまった後、最後に祭り上げられた木っ端役人、東条英機などは、その端的な例だろう。 結果、その成立過程に必要な「苦労」を端折って出来上がった日本の近代社会は、いつも不安定なイメージがつきまとう。【M】