観てはいけない! 『坂の上の雲』

ccg2010-12-13

出版当時から、『坂の上の雲』が多くの読者を魅了してきたのにも関わらず、これまで日露戦争がほとんど議論の俎上に乗ることがなかったことは、日本人の心理を考える上で、重要なヒントを与えてくれます。簡単に言えば、戦後日本社会心理にとって、戦前日本社会はトラウマとなって、心の奥に「隠ぺい」されている、ということです。
 それは例えば、世界史的大勝利であったはずの日露戦争には戦勝記念日がないのに、屈辱的であったはずの終戦記念日はあたりまえのように存在しています。ちょっと考えれば「?」と思うはずなのですが、日本人の多くがそう感じてはいない。それひとつ診ても、日本人あるいは日本社会の深層心理は、かなり歪んでいると考えなければならないと思います。

 こういうことは、『坂の上の雲』の原作を読むと感じることができます。たとえばそれは、保守派が「司馬遼太郎史観」として批判していることなどでも証明できます。つまり第二次大戦と日露戦争を比較されることを深層心理で拒否(防衛機制)しているわけです。戦争の勝敗が完全に転倒していますね、そういう意味で、司馬遼太郎坂の上の雲』が、原作のまま存在することは重要なのです。

 ところがです。『坂の上の雲』は、テレビドラマ化されてしまいました。内容も恐れていた通り、俗悪(デカダンスロマン主義)なものです。これでは、トラウマが治癒されるどころか、さらに深層心理の奥深くに隠ぺいされ、もうその存在さえも分からなくなってしまうかもしれません。われわれ日本社会は、日本近代の問題を何一つ相対化できていないにも関わらずです。
坂の上の雲』はそこにヒントを与えてくれる数少ないテキストのひとつです。原作を読まずに、レンタルDVDで『坂の上の雲』を体験した気になってしまう人が確実に増えることを危惧しています。(M)