日本航空公的救済の意味

ccg2010-01-14

今朝の、フジテレビ「とくだね」の一場面。日本航空問題で葛西アナが、「経営!?(ではなく)株主責任は」と、あわてて言い直していた。日航問題をめぐっては、ここ数日のメディアは、まるで報道統制を受けているかのように、「経営責任」という言葉を避けているようだ。

 日本航空という会社が、いかに「歪」んだ体質を持っているかは、よく知られているところだが、このところの政府行政の日航問題の対応を視ていると、それがあからさまに分かる。社員にはリストラ、OBには年金の大幅ダウン、そして一般人にはマイレージ株主優待の維持など、国民の気分を害さない手立てを打っておいて、3000億以上の借金の棒引き、そしてほぼ同額の税金による救済。日本の行政は、そのことでいったい誰を守ろうとしているのだろうか。「経営責任」という言葉が聞こえてこないところをみると、一番守られているのは、やはり、日航に天下った、有象無象の元官僚役員達なのだろう。

 昨年末の行政刷新会議を傍聴したときのことは以前に書いたが、偶然行われていた国交省予算の仕分け会議では、日本の空港行政がいかにいい加減に行われてきたかがよく分かった。要するに、政官財は、半国営の日本航空を利用して、空港航空行政を「食い物」にしてきたのだ。

 しかし、問題は、メディアはもちろん国民の多くもそのことをよく知っているはずなのに、日航の「経営責任」を追及する声が聞こえてこないのはなぜかということだ。最近話題になり映画化もされた、山崎豊子の『沈まぬ太陽』にもそのことが中心に描かれている。去年のリーマンショックの時アメリカでは、経営責任を厳しく問うこえが聞こえてきたのに、日本ではなぜ責任が追及されないのか?過去に遡り、歴代の経営責任者から賠償金を取るぐらいのことがどうして、メディアも載らず、議論もされないのか?【M】