『靖国神社と「カタルシス」』−2

ccg2009-08-17

今年はお盆休みを実家で過ごしたために、毎年恒例の「靖国フィールドワーク」はできなかったので、去年の投稿を一部変更し再掲載します。


靖国神社と「カタルシス」』
 先日読んだ対談本に、面白い事が書いてあった。ミッドウェイ海戦のあ と、天皇東条英機に、「ミッドウェイでは大変だったそうだね」と、尋ねたところ、東条は言っている意味が解らず、あとからその大敗の内容を聞いて驚いたというのだ。 海軍の台湾沖航空戦の大嘘の話も凄いがこの天皇と東条の話は、歴史学的というよりも、文化人類学的にその民族心理を探求したくなるような凄い話だ。 つまり、日本人だけで300万人も死んでしまうような戦争に対して、なぜそ こまで─真剣でなく(リアリティーなく)─いられるのか? ということ。 国の最高責任者でさえも、非常時の国情が全く理解できていないのだ。
 第二次世界大戦 の戦史には、こういった訳の分からない話がいっぱいある。人類の七不思議のひとつとも言うべき、「何故、先進国JAPANはあんな戦い方になってし まったのか?」。 これは実は、子孫に伝えなければならないような、貴重な「文化人類学的問題」なの だ。

 近代社会の中に潜む「後進性(前近代性)」。 この問題はどこの先進国に もあることなのだが、この二つをどのように折り合いを付けゆくのか? じつはこの問題はものすごく大きい。 「ハレ」と「ケ」という場合の、 「ハレの場」は、ほとんど、後進性に属する、ある意味民族発揚の場で、オリンピックやワールドカップ、地元の神社のお祭りなどがそうなのだが、ニホンはこれを、戦争の場でやってしまった。
 ただ、そのような「民族発揚」は、戦に勝つためにはは絶対必要で、大事な事は、いかにうまく 指導者がその手綱を取るか、ということなのだが、 しかし東条はじめニホンの指導部はまったくこれができていなかったのだ。 軍・民そろって、熱狂する祭りのよう な無法状態に陥ってしまった。 あの特殊な「敗戦」の原因は、そのことに尽きると思う。 とにかく、あのような大戦争でありながら、なぜか、勝つことよりも─戦うこと─が優先され、それどころか、勝つための近代的作戦など、「唐心」批判等しく、蔑視されたのだ! 

 何故、そんなことになってしまったのか? 人類の将来を考える時これが、20世紀に入った、 しかも先進国日本で起こったことだと考えると、まさに、ニホンの近代史は、「文化人類学的に探求」しておかないといけないことなのではないかと思うのだ。

 「祭りの後」、靖国は、そのカタルシスの成した犠牲者を供養するために存在している。【M】