NHK特集 やましき沈黙 陸軍編

ccg2009-08-10

昨日から、NHK特集で、戦後しばらくたってから元海軍軍令部の参謀達が集まって開かれた、「海軍反省会」について、4日連続のドキュメンタリーを放送している。今日は、海軍の特攻攻撃についての話だったのだが、番組では、軍令部の関与について、間違っているとは認識しつつも、反対意見を言うことができなかった上級参謀のその時の心理状態を、「やましき沈黙」と評している。
 しかしこれは、海軍参謀に限らず、陸軍でももちろん同様のことが起っている。その一例として、以前に投稿した文章を再掲載します。

─「日本と中国との戦争は、盧溝橋事件からスタートするが、その時の旅団長と連隊長が、後の牟田口廉也中将と、河辺正三大将。政府の不拡大路線を無視して、中国奥深くまで攻め込んで戦況が泥沼化したことは知られているところだが、実は、この二人は、その後太平洋戦争に突入し、戦況悪化がはっきりしてきたころにも、ビルマで大変な失敗をやらかす。それは、10万の兵のうち7万2千の死者を出したという「インパール作戦」だ。
 これは、戦況悪化で不人気になりつつあった東条英機が一機の巻き返しをはかるために考えた、インドに駐留する英国軍を叩くという作戦で、インド経由の中国への物資の援助を遮断するという目的があった。 しかしそれは、三百キロにも及ぶ山岳地帯の道なき道を、食料を持たず行軍し、そこで戦闘をするという、めちゃくちゃな作戦だったのだ。 全ての食料を現地調達する、「ジンギスカン作戦」と呼ばれたこの作戦は、目的地の遥か手前からすぐに破綻をきたす。 友軍からの補給もなく、飢えとマラリアに苦しむ兵士たちを、英国の容赦ない砲弾が降り注いだ。 そのような悲惨な膠着状態が続き、誰が考えても撤退を考えなければならない状況になっても、前線から遠く離れた所にいた牟田口廉也中将は、それでも強行に作戦の遂行を求め続けたのだ。
 そのようなさなか、これはまずいと思ったか、上官の河辺正三大将は、牟田口と作戦会議を開いたのだが、強行に作戦遂行を主張する牟田口に押されて、河辺正三大将は上官でありながら、撤退を命令することができなかった。

 結局作戦は失敗し、先述のように7万2千もの死者を出してしまったのだが、戦後、なぜか生き残った二人の責任者は、それぞれ、この時の二人の作戦会議についての後述談を語っている。 このブログのサブタイトルでもある、「日本人の精神的欠陥」はこの二人の後述談にみごとに顕れているのだが、まず牟田口。 ─「私はもはやインパールは断念すべきだと思っていたが言い出せなかった。私はただ、私の顔色によって察してもらいたかったのだ」─。 続いて上官の河辺の回想録から ─「牟田口軍司令官の面上にはなお言わんと欲して言い得ざる何物かの存する印象ありしも、予また露骨に之を窮めんとせずして別る」─(以上いずれも半藤一利「昭和史」より抜粋)。 これが、十万の兵士の命を預かる責任者の言葉だろうか。ほとんどこれは、高校生の恋愛相談のレベルではないか。

 これまで書いたくだりは、比較的有名な話である。二人の司令官の会談は、戦後多くの著書にも書かれている。 問題は、つまり、「日本人の精神的欠陥」が露呈するのは、この二人の能力や責任感がどうこうということではない。 問題は、この二人のいずれもが、「日本人によって裁かれていない」 ということだ。考えてみてほしい。 極端に言えばだが、この二人によって、7万2千人が殺されているのだ。そしてその遺族は、その何倍もいるのだ。
 例えば、作戦の内実が、隠蔽されていたというのなら解るし、司令官二人も戦場で死んだというのであれば、百歩譲って理解できるかもしれない。しかし二人は、普通に暮らして、静かに余生を送って、普通に葬式を挙げてもらって死んでいるのだ。 
 それにしても、我々には「怒り」の記憶を持続させることはできないのだろうか。 そのような「異常な記憶」でさえ持続できないことの最大の問題は、どのような場面であれ、また「繰り返す」可能性があるということだ。」─


番組の中でも語られているが、われわれニホンジンの心理には、結果が最悪になることを承知していながらも、都合の悪いことには沈黙してしまうという、「悪癖」があ。おそらくこれは、ニホンから精神的支柱が無くなってしまったことの問題と双璧を成す、ニホンジンがこれからも抱え続けなければならない、最大の問題の一つなのだろう。【M】