被害者感情について─「闇サイト殺人事件」から

ccg2009-03-21

死刑を言い渡す側の心理の問題として、「信仰」できる対象の有無が大きな問題となるということを以前書き込みましたがhttp://moritakuto.exblog.jp/7724003/、被害者遺族にとっての、「死刑」にも大きな問題があると思います。
 短期的には、「殺してしまう」ことで、癒される部分も確かにあると思うのですが、もっと長いスパンで考えた時、被害者が立ち直ってゆく過程で、「許す」という心理がものすごく重要になってくるのではないでしょうか。でも数十年先、その時に「許す」対象がすでにいないとしたら、そして過去、自分の頭の中から検事と一緒になって死刑を訴えた記憶が消せないとしたら、被害者にとっての人生は、すでに憎む対象が処罰されてしまったことで、「立ち直る」機会を失い、憎しみと苦しみだけの余生になってしまう危険性があるのではないでしょうか。
 
死刑確定に日本中で喝采が送られた「光市母子殺人事件」の遺族、本村洋さん、また、30万人の死刑判決要望の署名が集まった「闇サイト殺人事件」の被害者の母親の姿を見ていて思うことは、無責任なマスコミ報道や、それに感化された善良?な市民達によって、さらに苦しい状況に追い込まれるのではないかということです。
 遺族が死刑を求めるのは当然のことです。しかしそのことに声援を送る世論は、若干の同情心と社会正義感はあったとしても、本質的には、自らの「うしろめたさ」を感じなくても済む、スケープゴードを犯罪者の中に見出し、彼らを糾弾することで日ごろのストレスを発散させているだけなのではないでしょうか。
 結果的に、世論の支持を得たとし、死刑が確定し、被害者遺族は、将来立ち直るために必要な、「許すという手段」を失うことになります。 さらに、実際そうなのですが、光市事件では、将来不当判決だったことが判明する可能性もあるし、闇サイト事件では、自首したにもかかわらず控訴審で死刑になれば、遺族にとってそのことが将来大きな重荷になる可能性もあります。

 「死刑」は、近い将来判決を言い渡さなければならない裁判員にとっても、被害者遺族にとっても、何ひとつメリットのないものです。 あるとしたら、第三者の虐めに近い「市民感情」に対してだけです。【M】