「光市母子殺人事件」の恐怖


 光市母子殺人事件被告の少年(当時18歳)は、ほとんどの人の印象では、「凶悪な殺人者」なのだろう。いたいけな母親を馬乗りになり首を絞め殺害し、泣き叫ぶ乳児を床に叩き付け殺害したと。
 しかし実際はそうではない。遺体には、首を絞められた痕跡も、叩き付けられた時に負ったであろう傷も何ひとつ無い。 母親の首には逆手で首を押さえた跡と、乳児には、軽く蝶結びで縛った跡が首に残っていただけだ。(差戻し審判決文参照)

 当時18歳であった被告の、家庭裁判所での調査記録は、その後の検察の精神鑑定では、12歳程度とされが、4〜5歳だったらしい。 そのような少年が、水道工事を装って、自らが住む集合住宅の各部屋をまわってレイプする相手(ダッチワイフのような)を物色するだろうか。 幼い童貞の少年が、何かの原因で殺意なく、突発的に母子を殺してしまったと考える方が妥当なのだ。
 このような、検察による証拠の捏造に対して、被告が高裁まで、検察側と起訴事実を争わなかったのは、これまでの判例を考慮し、無期懲役を受け入れるという弁護方針を立てたためで、まさか検察が死刑を求めて最高裁へ上告するとは考えなかったからだ(逮捕直後の家裁では、差戻し審での供述とほぼ同じ内容のことを話している)。
 そして最高裁上告から、高裁へ差戻されるまで、3年もほって置かれたにもかかわらず、最高裁が新弁護人に示した弁論期日は、初めて弁護人が被告と接見することができた、僅か二週間後だ。 当然、起訴事実を争わなければならない弁護人は、裁判所に弁論の延期を求めたが、裁判所は説明を聴く場も設けることもなく却下してしまったため、しかたなく欠席することになる。 しかし、もし出席していたら、その場で「自判」つまり死刑が確定してしまう可能性さえあり、弁護人の裁判欠席は、当然の判断だったのだ。 しかも、検察は被害者遺族に弁護人の欠席を伝えておらず、遺族の激しい怒りだけを伝えたマスコミによって、弁護団まで謂れのないパッシングを浴びる結果となってしまう。
 
 裁判所法によって最高裁は、これまでの判例を変更するのであれば、「大法廷」で15人の裁判官によって、判例変更をしなければならない。しかしここではそのような違法が公然と行われ、どのように考えても永山基準を超えるとは思えない犯罪に対して、小法廷の判断のみによって、高裁に極刑を強要した。
 しかし、いったいどこに、この少年を死刑にしなければならない理由があったのか? いったい地裁、高裁の無期懲役判決のどこに、「著しく社会正義に反する」部分があるのか? 裁判所はなぜ、様々な、しかも違法でさえある手段を講じてまでこの少年を凶悪犯に仕立て上げる必要があったのか? この事件の顛末からは、日本の司法制度に重大な欠陥と行政の倫理観の信じ難い「欠落」を視る必要がある。 【M】