「2960」 劇場型報復裁判と裁判員制度

ccg2008-12-12

 闇サイトで繋がった3人の男が、金銭目的のために一人の女性を殺した。名古屋地裁で始まった公判では、検察側は法廷の大型画面に、被害者利恵さんの誕生直後から社会人になるまでの写真を映しながら、親一人子一人だった母親に質問する。 「主人に申し訳ない。こんな形で…。利恵を守ってあげられなかった」 と涙する母親は、当然、「死刑」を要求した。
 極刑を求める29万7000人の署名活動に後押しされた司法当局は、自らの立場もわきまえず、同種の犯罪を抑止する意味からも、極刑を望むと言ったかとおもえば、テレビのコメンテーターは、「国民の負託に答えるべく、勇気ある判決を望む!」と、胸を張ってしゃべっていた。 いったいいつから日本の裁判は、報復の「場」になってしまったのだろう。
 
 サイトで知り合ったばかりの男達が、メールで交わす、「殺しちゃう?」 という言葉が、あまりにもおぞましいものを連想させるのだろうか?。 これがもし、町のごろつき3人組の起こした事件だったら、被害者が母子家庭でなかったら、夜の仕事の女だったら? 世間はどのように反応するのだろうか?
 しかし、凶悪な男達は、被害者のことは何も知らなかった。 彼らが偶然選んだ被害者が、まじめな、母思いな、いたいけな女性であったがために、彼らは世間から「死」を宣告されるのか、あるいは、サイトで知り合ったばかりなのにこのような事件を共に起こしてしまうということが、これまでの判例に照らし合わせることもできないほどの凶悪さを持っているという、確たる証拠でもあるのだろうか。 見ず知らずの男同士の方が、競い合うように凶悪さを増してしまうことは心理学的に、充分考えられるのではないか?

 「死刑」判決に、世間が喝采を送った光市母子殺人事件から、まだ1年も経っていない。しかし、国民参加の劇場型裁判は、早くもここで再現されようとしている。しかも、被害者が一人でも、「死刑」は在り得るという、死刑大国へ向けた新しい基準の可能性を持ちつつ。

 半年後、新たなる劇場型裁判に際し、法廷のスクリーンに映し出された、「いたいけな」被害者の姿と、涙ながらに「死刑」を望む親族を前にして、「国民の負託」を背負わされた、裁判員たちの苦しみの表情が目に浮かぶようだ。【M】