裁判員の苦悩

ccg2008-12-09

昨日、テレビをつけたら、黒人霊歌 『誰も知らない私の悩み』 が流れていた。 この有名な霊歌の最初の歌詞、

 ─私の悩みは誰も知らない、イエス様だけが知っている─

 公判を終え、評議に入る裁判員達は、最初に「宣誓」をする。 しかし宗教を持たないわれわれ日本人は、いったい何に宣誓をすればいいのだろう。 「神に対し嘘、偽りは申しません」と誓いを立てることができないわれわれは、「裁判員に選出された私は、私自身に対し嘘、偽りを述べないことを誓います」、と言わざるを得ない。
 許しを請う被告に対して、自分自身の責任において「死刑」を言い渡さなければならない一般市民は、その被告の運命までを背負って生きなければならなくなるのだ。 NHKの模擬裁判ドキュメンタリーで、死刑を主張した女性の言葉が印象的だ、─「死刑という制度がある以上、わたしは死刑を選ばざるを得ない」─。
 判事から以前の判例を示され、殺意を持って二人を殺せば自動的に死刑であると言われた女性は、自分自身の考えに基づいた判断より、社会規範を重要視することを選ばざるを得なかった。 そしてその責任は誰に責任転嫁することもできず、死ぬまでその女性の内面にしまいこまれることになるのだ。 【M】