太宰治の「マザー・シップ」

ccg2008-08-29

今日、たまたま文芸誌の対談記事を立ち読みしていたら面白いことが書いてあった。 吉本隆明がずっと昔に、太宰治に会った時の話。 太宰に、「おまえ、男らしさってなにか知ってるか?」 と聞かれ、「知りません」 と答えると太宰は、「それは、マザー・シップだ」 と言ったというのだ。 
 近代日本男児の「マザコン1号」 みたいな太宰が、 「ship」と表現し得たことは、これは悩める日本男児にとって、ある種の「救済」となるのではないか。 近年、親孝行とマザコンのイメージの差は紙一重で、江戸時代や明治のころの親子関係は親孝行で、同じことをやっても、現代だと「マザコン」だと言われてしまうことに、少なからず理不尽さを感じる人も多いと思う。 しかし、太宰流に考えれば、マザーとサンの関係は、根暗なフロイトのようなネガティブな関係ではなく、「同志」であり、倫理に裏打ちされたポジティブな関係の体現だと解釈してもいいのだ。

 なぜか、母親と娘には、マザーシップ的な関係が今でもある。それは娘が母になった頃に強度を増すようだが、母と、息子は、近づき過ぎてもいけなく、遠すぎてもいけないという、難しい関係にある。 それは、単に、「マザーコンプレックス」 という、絶妙な言葉が発明されてしまったことと、 「マザーシップ」的な、新しい表現が流通しなかったことが大きいのではないかと思う。【M】