北京オリンピックの 「君が代」

ccg2008-08-23

北京オリンピックで流れる 「君が代」 がなかなか好い。 普段流れている「君が代」に比べてゆったりと演奏されて荘厳な感じが表れている上に、「さ〜ざ〜れ〜 い〜し〜の〜」の、れ〜と、の〜のところにアレンジされた、ドラの響きがまた「ゾクッ」とさせてくれるのだ。ふと、ニホンが、より立派な国になったような快感を覚えてしまう。 どうも最近は、サッカーの試合なんかのときのような、ひとりよがりな独唱ばかり聞かされているようで、中国人アレンジの「君が代」が、なにか新鮮な感じさえする。

 他の国の場合はわからないが、国歌に「君が代」というタイトルを付けて、「歌う」対象とするのではなく、単に「日本国国歌」として、「聞く」対象とした方がいいのではないかと思う。 「内向的わびさび」の極地とも言えるような、あの歌詞がはたして国歌としてふさわしいか? という問題はもう少し考えられていいような気がするし、やはり、歌うか歌わないかで、「ニホンを愛しているかいないか」などとトンチンカンないいがかりをつけられるよりは、どのように聞いてもいい、メロディーだけの国歌の方が、われわれには向いているのではないか。 坂本龍一あたりが、精緻を極めたアレンジをすればいい。 そうすれば、例えば、ただでさえ鬱陶しい高校野球の校歌斉唱もなくなり、精神論の塾縛から逃れた野球は、純粋に面白くないスポーツとして、衰退して行く事ができるだろうし、社会に蔓延するちんけな派閥意識も、少しは緩和されるのではないだろうか。【M】