日本対アメリカ 「儀式」としてのサッカー

ccg2008-08-07

アメリカにはサーカーとして見るべきものは何もないんですがね〜」 北京オリンピック男子サッカーの初戦、日本が0対1で敗れる直前、解説者の山本正邦が吐いた言葉だ。 しかしなんでサッカーをしていないチームに、サッカーをしているチームが負けるのか。
 
 最近知ったんだけど、「ボランチ」 という言葉をいまだに使っているのは日本だけだそうだ。ボランチというのは、ディフェンシブなミッドフィルダーのことで、真ん中辺を守る選手のなかの、ディフェンスを主な仕事をする選手のこと。 つまり、世界のサッカーは、おおまかに、ディフェンス、ミッドフィルダーフォワードと別れているのにたいして、ボランチが入ることで日本では、四つに仕事が分かれることになる。
 そうするとどうなるかというと、気分的に、ディフェンダーからフォワードにボールを送るまでに、一回余分にパスを回さないといけないようになる。 
 今日の、アメリカ戦は、センターライン近くの自陣で、ボールを奪われる場面が物凄く多かったような気がする。 対してアメリカは確かにチャンスらしいチャンスは少なかったが、自陣でボールを奪ってから味方のフォワードにパスが回るまでのスピードが、明らかに早かった。

 小学生の息子二人がサッカーを習っているが、そこのコーチは、ディフェンスがボールを奪っても、いつも 「上がるな〜!パスを出せ〜!」 と怒鳴っている。 極端に言えば、日本では、ひとつづつステップを踏まないと、シュートまで行ってはいけないのだ。 ちなみに、日本のフォワードがチャンスの時にもなかなかシュートが打てないのは、深層心理のなかで、「せっかくここまで苦労してボールを運んできてくれたのに、ミスするわけにはいかないよ〜」 という気分が働いてしまうからだろう。【M】