都合のいい「感性」

ccg2008-07-31

なつかしい保守派の友人からコメントをいただきましたので、その引用から。

 K氏 「言ふまでもなく、モダン社会は絶対的なものではありませんし、個人的にはデカルト主義はかなり気持ち悪いですが、私たちは現実にモダン社会に生きてをり、【モダン社会に責任は必須】といふのが、森さんの主張ですね。モダン社会のモデルである欧米で現実にどれだけ責任のルールが機能してゐるかはともかく、理念として明確なのはたしかですから。勿論、その理念を前提として、彼らはしばしば現実主義的解決を図るわけですが、日本ではさういふ区別もない。」


日本の場合の責任の取り方は、けっこう面白いですね。日本の場合は、責任は、道徳とか倫理という、「美意識」 に近い概念と密接に繋がっていると思います。 【モダン社会に責任は必須】 というのは、そういう前近代的でロマンティックな概念を排除しましょうということで、それは、そういう前提にしておかないと、世の中訳のわからない状況になってしまうからです。
 ではなぜ、日本では訳がわからなくならないかというと、訳がわからないことになっていることに気が付いていないからです。 このブログでもずっと書いてきたことですが、日本の近代史は、ほんっっとうに訳のわからないことだらけです。
 そして、ニホンが、それでも先進国の仲間でいられるのは、特殊な感性によって、訳のわからないことを、その都度 「浄化」、あるいは、「リセット」 することができたからだと思います。 でも浄化されたり、リセットされるのは、「訳のわからないこと」 自体ではなくて、そう感じてしまう、ニホン人の頭の中の、「観念」の方なので、つまり、忘れてしまおうという方法なので、いつまでたっても、「訳のわからないこと」 が、生産されてしまうのです。【M】

写真:お気の毒なHIROHITO様は、このお墓の地中深くに、銅の棺に密閉されて、埋められています。天国へも地獄へも逝けません。