「擬似モダニズム」の地平 再考

近代(モダニズム)とは合理主義という言葉とほぼ等しい。 たとえば、沢山あった地方言語は、「国語」一つでいいし、さらに進めば、「英語」 だけでもいい。また、地域に固有の素材を生かした建物は、人工素材で大量に造られた均質な建材を使う方が合理的であり、安価になる。つまり多くの付加価値が消去され、世界は均質化へと向かう。 結果、どこへ行っても同じ風景になる。

 多かれ少なかれ、全ての地域、国家は、いやでもその変化を受け入れなければならないのだが、問題は、それをどのように受け入れたかということだ。 その受け入れ方によっては、その国の状況や、国際的な立場も大きく変わってしまうのだ。 日本はどうか。あまり意識されることはないが、日本は、一番後発の先進国であり、つい近年の東アジア諸国の台頭があるまで、ほぼ150年間で、先進国の仲間入りができた世界で唯一の国である。
 しかし、頑張って合理化を進めれば「近代国家」になれるのであれば、日本が一番だったとしても、それに続く国々が出てきてもおかしくないのだが、それがなかったのはなぜか? 日本が特別優秀であったと考えるのは自由だが日本だけというのは、あまりにも例外的でありすぎる。

 そこで僕の主観的結論を言わせてもらえば、日本が近代化に成功した理由は、「日本が、世界で唯一、近代化以前の文化を惜しみなく捨てることができた国家だったから」 だと思っている。
 ではどうしてそのようなことができたのか。 たとえば、詩人の萩原朔太郎は、洋行後に書いた、『日本への回帰』 というエッセーのなかで、日本人は ─「西洋的知性によっては西洋になりきることはできず、また、近代化のなかで全てを喪失してしまった日本では、日本人になることもできない」─と、書いている。
 なんとなく納得されられるような一文だが、しかしよく考えれば、これはおかしい。 近代以前に生かされてきた「文化」とは、それほど簡単に「喪失」、できてしまうものなのだろうか。 要するに合理主義を受け入れるとは、これまで育ててくれた「母」と引き裂かれるようなもので、そこには、激しい葛藤と、戦いがあるはずではないか。 しかし、朔太郎の心理の中には、近代化に対しての、「抵抗」 という概念がまったく存在しないのだ。 つまり、日本の近代化の成功は、優秀な民族だったからというよりは、朔太郎の心理に診られるように、日本人の中に、「民族意識」 や、そのことへの執着心が他の民族に比べ、大きく欠如していたことが大きい、と考える方が自然なのだ。 
 
 明治維新は、無血革命だったと言われている。ほとんどそれは美談のように語られるが、実は日本は、その時点で 「母を捨てた」 のだ。  つまりその時点の日本の選択は、
─「自らの文化を守る」戦いを避け、それを「喪失」(忘却)する事によって、近代を受け入れた─のだ。 そしてそのことが、日本の心理の中で、近代史を通しての、大きな 「トラウマ」 になっていると、僕は思っている。
 負けを承知で戦うことが必要だった。 そのことで、我々は、一度傷つかなければならなかったのだ。 「戦い」 を避け、「忘却」 という手段を選んだため、我々は、近代以前の文化に対し、常に、「後ろめたさを」 を持ち続けなければならなくなったのだ。

●「擬似モダニズムの地平」とは、このような近代社会の体裁を整えつつも、その過程で、自分だけ傷つくことから逃げたことに、おとしまえをつけられず、過去に引きずられる、ゆがんだ日本の社会心理あるいは、社会空間のことです。