神風特攻隊の裏話から

この間、NHKで神風特攻隊の裏話ともいえるおもしろいドキュメンタリーをやっていた。 最近問題になっている沖縄での集団自決にも似た、「特攻の強制があった」的な内容だ。 おもしろいのは、特攻攻撃責任者の陸軍中将が、航空隊の兵士達の所にわざわざやってきて、今で言うアンケートをとって、神風攻撃への参加を、A─熱望する、B─希望する、C─希望しない、という三つのなかから選ばせた。そして最初、兵士全員が、「C」を選んだそうなのだが、そのなかのひとりが、「それではせっかく足を運んでくれた中将殿があまりにもきのどくだ」と、発言したところ、全員が意を決して、「熱望する」に、変えてしまったというのだ。

 以前にも書いたが、自爆攻撃が、本当に天皇のため、お国のため、というのなら解りやすい。なぜならイラクでの自爆テロをイメージすればいいからだ。しかし、この時の兵士達の、あるいは、命令ではなく、アンケートで自爆攻撃に参加を呼びかけようとした、陸軍中将の感性はどう理解すればいいのか。 明らかに、兵士達の命が軽く扱われている。それどころか、兵士たち自身が自らの命を軽く扱っている。 私流に言わせてもらえれば、これこそが、「擬似モダニズム」の世界で繰り広げられる日本的風景の、典型なのだ。

 これはもちろん、「死生観」の問題なのだが、少なくとも、近代社会というのは、観念による「死」は、タブーでなければならない。生きることが前提となっている、資本主義社会なのであって、要するに、「生命への活力」が、利潤追求を是とするための、最大の「担保」となる社会システムなのだ。
 しかし日本では、その大前提が共通認識として確立できていない。 前回も書いたように、そのような近代に似つかわしくない、前近代的な(プレモダン)な感性が、近代社会(モダン社会)の中に複雑に入り込んでいる。