再掲載 ニッポンの「運動会」

ccg2007-09-23

今日は子供の運動会でした。


 「ここ2・3年、子供の運動会へ行くようになって、あらためて 「?」 と思うことがある。 それは ─「どうして赤と白に分かれて戦うの?」─ ということだ。 
 ちゃんと調べたわけではないが、これは世界でも珍しい風習なのではないだろうか。 昭和初期の日本に統治されていた東アジアではひょっとしたらいまでもそのような風習が残っているかもしれないが、運動能力を競うのであれば、かならずしも、「赤と白」に分ける必要はないだろう。

 そして必ず、応援合戦というのがあるのだが、硬派っぽさと、多少のユーモアを含めた応援の後、これも昔と変わらないのだが、必ず 「敵」 に対しての応援エールを送るのだ。 これは日本人の大好きな 「甲子園」 でもよく見かける風景だが、 「敵に塩を送る」美談の、名残なのか、あるいは、負けた時の防衛機制的な心理なんだろう。 つまり、日本人的な感性なんだろうが、絶対的な 「勝ち」と「負け」 の間に、緩衝地帯を設けたいという心理で、そのような心理が対戦相手へのエールと言う形になって顕れるのだと思う。

 話しを 「赤と白」 に戻せば、このように団体に分かれて戦うという風習は実は、世界でも、宗教的な─「祭り」─のなかではよく視られるものだ。 地域やギルドのような小さな共同体の間で、いろいろな競技を行なうのだが、それは、神からの─幸運─を競い合うと考えるべきで、日本でも博多祇園祭の 「流れ」 などは、そのようなものだろう。 (「流れ」という表現のなんと日本的なことか!)
 日本の運動会の場合は、(同じクラスのなかでも赤と白に分けられる) 共同体的な感覚を、「擬似的」 に体験することになるのだが、しかし、この擬似共同体は、─「敵に塩を送る」─的な、世間的─「倫理」観─に拘束されたものだ。 つまり、ちょっと意地悪な言い方をすれば、個人の勝利は必ず、共同体へと吸収されてしまうという日本的社会に、「慣れる」 ことへの訓練でもあるのだ。」【M】