▲オーム大量死刑判決の「怪」

ccg2007-07-21

一連のオーム事件で、死刑判決を受けた被告は13名。昨日、地下鉄サリン事件の実行犯のひとり、横山真人の3人目の死刑が確定し、残る10人が控訴している。以前のブログにも書いたが、この13人の死刑判決の多さは異常だ。事件の性質の差もあり、もちろんその数だけで判断することはできないが、例えば、東京裁判でも、戦前の大逆事件でも、安政の大獄でも、これほどの死刑判決は出ていない。
 しかしこの死刑判決の多さは、事件の重大性とか、国家に反発したため、というよりは、日本の司法制度に一貫した「基準」が存在しないことに起因するのではないか。 例えば、地下鉄サリン事件を、組織による集団犯罪と視るか、個人の意思による犯罪と視るかがはっきりしない。 組織犯罪とするのであれば、責任者が重く罰せられ、実行者の罪はそれよりも一段軽い判決にならなければならないが、個人犯罪とするのであれば、横山被告が直接関与した地下鉄車内では死者は出ていないのだから、単なる殺人未遂事件のはずで、当然死刑には値しない。
 一連のオーム裁判の最大の特徴は、安政の大獄大逆事件のように、組織(国家)が組織を裁くのではなく、「個人(判事)が民主憲法下で組織を裁」かなければならないところにある。 民主憲法下での刑量判断は、「集団犯罪」とい概念は本来異質なもので、思想信条に関わりなく、個人が何をしたかが問題になるはずなのだが、横山被告の場合では、どうしてもその背景にある、オームという組織全体が引き起こした重大犯罪と重なってしまい、単なる殺人未遂事件が集団殺人へと飛躍してしまうのだ。

長くなりそうなので、その心理的背景については次回に。【M】