「段ボール肉饅」─中国的感性の怪

中国人というのは、その人口の多さもあるけど、どこか得体の知れないというか、何を考えてい るのか解らないところがある。もちろんアメリカ人だって何を考えているか解らないのだが、中国人の場合は、その解らななさの幅が、極端に大きい。そしてそれが端的に現れるのが、「倫理基準」の幅、と言ってもいいと思うのだが、自分には、中国人の「倫理」 の基準が、さっぱり分からない。
 例えば、すこし前、国営の遊園地で、堂々とディズニーやキ ティーちゃんの偽キャラクターが使われていた事件は、世界を唖然、というか「震撼」させたが、そのことは、西欧諸国にとって彼らが長年かかって 苦労の末に作ってきた資本主義のルールを、そんなことをまるで気にもとめない13億人の、しかも元気いっぱいの子供達に対して、手取り足取り教えなければならず、またそれだけでなく今後、そんな連中と表面的には対等の立場で付き合ってゆかざるを得ないという、先進諸国の─暗たんたる思い─が裏にあると思う。


 中国人の何が問題なのか? これは日本人にも実は当てはまるのだが、最大の問題は、中国人の精神の中に、高所から自らを監視し、罰を与えてくれる絶対者、つまり─[神][おてんとうさま]─がいないことだ。 その時々の国勢、状況によって、めまぐるしく倫理基準は変わってしまう。 深層心理のなかに、死後、審判が行われるという恐怖がない社会というのは、自己都合だけが判断材料なのだ。(儒教的道徳観も、神は不在だ)

 
 急激な高度成長を背景に、かつての『中華思想』に目覚めた彼らには、怖いものは無い。 しかしそれは、「神をも恐れない傍若無人」さ、とかではなく、押さえ付けられる強者不在の、「天真爛漫」さだ。 例えばそれは意外な行動として現れる。
 何年か前、中国がオリンピック招致合戦をしている時に、視察にやってきたIOCの面々を歓迎するために、冬の時期だったので本来枯れているはずの芝生を、緑色に塗装したという話があった。また、つい最近では、子供達に夢を与えるという理由で、パンダ色に塗り替えた、「パンダ犬」が話題になっていた。 神の造った物には、人が手を加えてはいけないと考えるキリスト教徒にとっては、イメージすることさえ出来ない事だが、中国人の天真爛漫な感性は、例えば、クローン人間を造ることにも、何の躊躇もないだろう。 クローン人間開発に歯止めがかけられるのは、─天への畏怖心─だけであって、人工的「道徳」感では不可能だ。 (本当は日本人だって、どうしてクローン人間に問題があるのかよく分かっていない。西洋人から学んだ、「教養」に拠っているに過ぎない。露天の「カラーヒヨコ」だってついこのあいだまで売っていたしね)【M】