最低時給1000円は妥当か?

 民主党選挙対策の一環として、パート、アルバイトの最低時給を、1000円に引き上げろと言っている。 ネットを眺めていたら、それに対しての、いくつかの評論家のコメントがあったのだが、 そのほとんどは、その賃金の引き上げは、ほかの部分に皺寄せをおこし、結果的に、雇用そのものを減少させるという、教科書通りの内容だった。

 「格差社会」問題を、どう捉えるかということで、社会全体が勘違いしているのは、雇用者などの勝ち組は、利益を自由に操作できる、「権利」 を持っていて、最低賃金の労働者は、その残りを分け合って生活しなければならないと思いこんでいるところだ。 しかしそれは大間違いで、本来利益というものは、労使が話し合いの上でその働きに応じて取り分を決定するものであって、 提灯評論家が言うように、たかだか200円の時給アップを理由に、「雇用の減少を招く」 と脅しをかけるということは、すでに勝ち組であることを自覚した提灯評論家が、自らの立場を守るために「格差」 を硬直化させようとする企みに等しい。

 昨日たまたま「クローズアップ現代」 でも、派遣アルバイトの賃金闘争の話をしていたが、要は、雇用者のピンハネをいくらまで抑えられるかということだ。 格差社会をことさらに言う理由は、以前よりも格差が大きくなっているからで、現在が、200円ぐらいの時給のアップで、雇用が減少しなければならないような、ボーダーラインにぎりぎり立っている経済状態なのではなく、 勝ち組が利益の一部を低賃金労働者に還元させる意思があればそれですむことあり、それでも充分雇用は維持されるはずなのだ。 

 つまり、勝ち組の論拠である、「最低賃金の引き上げは、経済に混乱を招く」 というロジックは、自らの立場を安定させるための詭弁以外の何ものでもないのだ。 格差社会とは、単に、下層から上層へ、資本財が移動しただけであって、それ全体が、減少したわけでもないし、さらには、中国に負けないために、低賃金で我慢しろなどと言われなければならない筋合いでは当然ないのだ。 逆に「テメーらこそ我慢しろ!」 。 
 この問題の本質は、本当は、勝ち組の─「倫理意識」─の問題なのだ。

前回の書き込みに繋げるなら、「お天道様が見ていない」 社会では、法律で規制されない限り、利益を分け合う必要はない。「格差社会」は、グローバルな問題だが、日本でこれから始まる格差社会は、それよりも遥かに悲惨なものになるだろう。 我々日本人は、本質的に個人主義者であり、そして弱者に対しては、冷たく、意地悪な民族なのだ。 

 僕は無根拠に日本人を悪くいうつもりはありません。 現在、高額所得者、勝ち組と云われている人に聞くといい。 まともな神経の持ち主なら、皆等しく、自らに対して、利益を搾取しているという、自責の意識を持っているはずですよ。【M】