サルコジの勝因

ccg2007-05-12

「分かれ道」は、長い絵画の歴史を通して、常に重要なモチーフになっている。しかし、ここに提示した、1929年、アメリカ在住の日本人画家、国吉康雄によって描かれた『秋のたそがれ』は、そのような幾多の「分かれ道」とは全く趣を異にしている。
 迷いや、不確実性のメタファーとして表現されるのが、二つに分かれる「道」であるのに、国吉の描いた道は、迷うこと、不確実であることを許さない、一本に「収束」してゆく道なのだ。
 時代が大きく変わったのだ。大恐慌から破滅へと進み始める、1929年、国吉は敏感に、人々の観念が、一つに収束してゆく姿を視ていた。 「複数」の価値観が許される社会は、まだ余裕のある社会なのだが、その時社会は、それがある一つの観念へと収束せざるを得ない時代を迎えつつあったのだ。
 
 座標軸が明確な場合、複数の価値観は、その座標軸のなかの相対的な「場」を選ぶことができる。しかしその座標軸が取り払われた時、複数の価値観は、漂泊を始めるのではなく、逆に最も「強い」磁場を持った、価値観(イデオロギー)の回りに収束しはじめるだろう。 ベルリンの壁の崩壊、9.11テロを経験した世界は、それまでかろうじて維持されてきた、座標軸を見失った。我々には基準がないのだ。 
いつだったか、フランシス・フクヤマは、アメリカを中心とした「リベラルな民主主義」が、平和的に世界を覆うだろうと予言した。そして今、その予言は、180度捻じれた状態で実現したと言って良い。我々は今、より強い磁場を求めて、アメリカの周りに収束しつつあるのだ。【M】