『落日燃ゆ』その2─背広の似合う男

ccg2007-04-26

 前回の補足。 あまり面白くなかったと書いてしまいましたが、それでも、「へーそうだったんだ」 と思った部分もいくつかありました。 例えば、広田は、海軍の山本五十六と親しかったそうですが、真珠湾攻撃が成功し、日本が破竹の勢いで、南方を制圧しつつあったころ、広田は山本から一通の手紙を受け取ります。 その手紙の最後のところに、「花ならば、今が見頃」 と書いてあったことに、「不真面目だ!」 と憤慨します。 つまり、山本と広田は共に開戦を避けるために奮闘したのですが、結局宣戦布告することになる。 その時山本が、「一年間だったら暴れまくってやる」 と言った逸話は有名ですが、もうすぐ反撃されて大変なことにるだろうということを、これから戦死者がたくさん出るだろうという現実を、よりによって、「花見」 に例えたことに怒ったわけです。 このあたりのくだりには、広田の人間性が描かれています。


 もう一つ面白いなと思ったのは、広田弘毅が、天皇から組閣の大命を受けた時の一幕です。 時代は二・二六事件の直後で、岡田内閣が総辞職せざるをえなくなったのですが、しかし次が決まらない。 そんな時、「石屋の倅」で実務家の、広田が推されるというサプライズが起こるのですが、広田は当然辞退する。 そこで説得役になった外務省の盟友、吉田茂が、「重臣達はなぜか、背広を着たやつがいいって言うんだなあ〜」 と言います。 それを聞いた広田は、「そうか、今は軍服が似合う男でも、モーニングが似合う男でもなく、普通の服が似合う自分がやらなければいけないんだなあ」 と理解して、首相就任を引き受けます。要するに着実で、堅実な庶民政治です。 
 そして皇居に参内した時、天皇が普段なら、新しい首相に対して、三か条の注意を与えるのですが、なぜか広田にはもう一つ付け加えました。 三ヶ条というのは、憲法を守れとか、外交で無用な摩擦を起すなということなのですが、最後に付け加えた一言と言うのは、「名門をくずすことのないように」 という言葉でした。 広田はこの一言に、「冷水をあびせられた」 思いをします。 「庶政一新」 をスローガンしたいと考える広田内閣は、スタートから、その心理面において、重く大きな壁に阻まれることになります。 つまり、自分(達)は代理でしかないのだと。 
 このくだりは、城山三郎が唯一、この歴史小説のなかで、主人公の「心理」をイメージした部分であり、唯一面白い部分だと思います。
 

 この小説は城山らしく、実務家(背広の似合う男)が、大きな歴史ロマンに翻弄される姿を描いたものですが、 広田が他の戦犯と一緒に処刑される直前、東条らが、万歳三唱する声を聞いて、「まんざい三唱ですか?」 と皮肉を言ったというフィクションで、この小説は終わります。 しかしこの部分が、この小説から俯瞰(普遍)視線を奪い、広田を通俗的で、 一番重要な時に、達観し、口を噤んでしまう「普通の男」に格下げしてしまっているような気がします。 自分が感じたこの小説の「つまらなさ」は、歴史小説には不似合いな、「リアリズム」を感じてしまったからかもしれません。【M】