■ 『落日燃ゆ』

ccg2007-04-22

『落日燃ゆ』は、東京裁判で、唯一文官で死刑になった広田弘毅の伝記小説。 興味があったのだが、読む機会がなく、先月、城山三郎が亡くなったことがきっかけで読んでみることにした。

 印象としては、城山三郎の主著と云われるわりには全体的に短く、もう一つ、広田弘毅の人物像が伝わってこない。 もちろん石屋の長男として生れてから、外交官、外務大臣、総理大臣になり、東京裁判で、死刑が執行されるまでの広田弘毅のさまざまなエピソードや業績については書かれているのだが、そのような人物像が形成される理由というか、背景がほとんど描かれていないように感じられるのだ。 
 一番の不満は、裁判が始まってから、広田弘毅が一切の証言を拒んだことの理由が考えられていないところだ。 広田は、外交官時代から外務大臣、総理大臣の時代を通して、検察官が軍部との裏取引を疑うほどの手練手管で、暴走する軍部をなだめすかしつつ、山積する外交、内政問題にあたってきたのだ。 それなのに、裁判では、その内容について一切口を閉ざしてしまったのだ。 その時代の歴史の責任者であったのなら、本当なら、軍と政府の間でどのようなことがあったのか、ちゃんと説明する義務があるはずではないか。
  『落日燃ゆ』を読むかぎり、特に広田弘毅ほど滅私奉公という言葉が似合う公人は珍しい。 しかし、そうであれば逆に、他の被告が不利になる発言になったとしても、しっかりと後世に史実を伝えなければならないはずのだ。 いくら死刑を覚悟していたとはいえ、世捨て人のように「達観」されてしまっては困るのだ。

 『落日燃ゆ』 は、歴史の記述があるだけで、心理描写が浅いと思う。 例えば、他の被告の悪口になるからと黙秘を続け、結果的に悪者にされ、処刑されてしまうというストーリーは、美しくも何とも無く、本来的には、「不気味」 な話しなのではないか? 優秀な公人であり、モダニストの広田が、なぜそのような心境に至ったのか、あるいは、なぜ広田のそのような行為が、日本人のわれわれには、「潔い」 と感じられるのかが描かれていなければ、歴史小説とは言えず、ただの歴史教科書に過ぎないではないか。【M】


写真は、六本木の国立新美術館に併設する、旧陸軍第三歩兵連隊跡。後ろ半分は現代風にアレンジされてしまっているが、22.6事件では安藤輝三大尉率いる歩兵達が、この門から出兵していった。