「死」へと誘うコミュニケーション

長い時間車に乗る時、たまに放送大学なんかを聴くことがあるのだが、先日、心理学者だか脳神経外科の医師だったかが、おもしろいことをしゃべっていた。 
 ある臨床例で、植物人間になった高齢の患者がいて、その患者が、意識は全く無いのに、大きなうなり声をあげたり、苦しそうに体を捩ったりしている。 そこで、これはなんだろうと思ったある医師が、例えば、「あ〜」とうなったら、自分も同じように、「あ〜」っとうなってみた。「え〜」っとうなったら、「え〜」っというぐあいに。 そしてそれを長く続けているうちに、それが、ある意味のある言葉だったことが分かったと言うのだ。 それは、「船に乗りたい」 といっていたのだ。 そこで同じような長いスパンの言葉で、「そ〜の〜ふ〜ね〜に〜のって〜み〜た〜ら〜」 と言ってみたところ、「仕事が忙しいからそれは無理だ」 と長いスパンの言葉で返してきた(以下「〜」は省略)。 さらに、よく聞くと、その船はバハマに行く船で、自分は一度でいいからバハマへ行きたかったという。 おそらくこの患者は、夢をみているのだろう。 そこで医師は、患者に向かって、 「あなたは、いままでよく働いた、少し休んでその船に乗ってみたら」 といってみたところ、すこし間をおいたと、「じゃあ乗ってみる」 と返してきた。 その患者はその後しばらくして安らかに息を引き取ったという。 
 治療のための臨床例のつもりで聞いていたので、「え〜!死んじゃったの〜」 っと思ったが、考えてみれば、これはある意味、もう回復することが不可能な患者を、尊厳死、あるいは自然死へと誘う、立派な医療なのかもしれない。 

 そして全く逆の例として。 生前から、延命治療を拒否していた老人がいたのだが、そのひとが脳梗塞で倒れてしまった。 レントゲン検査では脳幹も真っ白になってしまうほどの重症で、植物人間になってしまったのだが、その娘はやはり延命のための治療を行うことにした。 闘病の間、ずっとそばにいた娘は、ある時、父親の微かな唇の動きに気が付く。 そこで、「私の言うことにイエスだったら、唇を動かして」 と言い続けてみると、かすかにだが、返事をしているように見えたという。 全く信用しなかった医師の前で実際に質問してみせると、確かに唇が動く。 しかしこれは何かの条件反射だろうというので、娘は、「お父さん、もっと生きたい?」 と聴いてみたところ、なんとその老人は、ぐわ〜!っと、大きく口を開いたというのだ。

 しかし、考えれば考えるほど、この二つの話しは怖い。生命の強さとか、不思議とか言っている場合ではない。 延命医療によって、とりあえず脳が生きていると言う場合、いままではそれはどちらかというと家族の問題だったのが、そこに本人の意思が加わってくるのだ。 つまり、脳死患者の動きや表情は、単なる夢や条件反射ではなく、そこに確かな「要望」があるということだ。しかもそれは「生死」に関わる要望であるのだが、本人が身動きが取れない以上、生かすか殺すかは、家族が決めなくてはならないのだ。【M】