女性は「腹を痛めて」子を産む機会

ccg2007-02-15

金融専門家の厚生労働大臣の「女性は子供を産む機械」発言が大騒ぎになったのは、その非常識さや、野党やリベラル派の格好の餌食になったからというよりは、日本の世間社会の後進性が思いもかけない「機械」という即物的な言葉で-表象-されてしまったことへのとまどいと苛立ちという側面が大きい。つまり、我々の共同体では、たとえその現実が「機械」のようなものであっても、けしてそのような言葉を使ってはならず、もっとロマンティックな表現がされなければならなかったのだ。要するに日本人の深層心理では、「女性は子供を産む機械」なのだ。
問題なのは、それが単に「後進性」ということだけでは説明できないことで、日本社会では“母”をめぐる社会規範は、巧妙な、しかも強固な「物語」によって出来上がっている。例えば、出産にあたっては、女性は「腹を痛めて」子を産まなければならず、欧米のように無痛分娩をすることは、どこかに社会規範を侵すようなうしろめたさがあるし、日本の出生率がヨーロッパに比べて極めて低い理由のひとつとされる、婚姻外子に対する差別は、女性が、「家庭」という物語の主役を演じることを強要しているからだ。つまり、「母さんは夜なべをして手袋を編んで」くれる存在でなければならないし、『東京タワー』のようにいつも自らの欲望をおさえて家族のために苦労し、最後まで報われることなく死ななければならない存在であることによって、われわれの共同体の「物語」は維持されるのだ。それほど我々の社会は、先進国と云われながらも近代的自我の確立に自信が持てないし、自分たちで勝ち取った先進性だとはどうしても思えないでいるのだ。 
根本的にマザコンである日本の男達のアイディンティティが、自らの主体性を立ち上げたことによって成就するというよりは、苦労した末に親孝行ができたということが基準になっているイメージが強いのはそのためで、そこにはいつも苦労して支えてくれている“母”がいなければ物語は成立しないのだ。例えば、IT長者が胡散臭い眼で視られるのは、そのような前近代的なイメージに乏しいからだろう。要するに、日本社会が先進国と云われながらも内向的であり自閉的であることの皺寄せの多くを“母”が背負っているということだ。

少子化問題や文部行政がいつも後ろ向きで、遅れをとっている印象を受けるのは、行政の怠慢や無能さが原因なのではなく、出産、子育てをめぐる環境をヨーロッパ並みに整えることによっておきる「後進国日本」の社会規範の崩壊を恐れる日本国民の総意(社会心理)によるところが大きいと考えるべきなのだ。【M】