『北方領土の日』 と 脱『脱』ダム宣言?

あまり知られていないのだが、今日2月7日は、『北方領土の日』 らしい。 調べてみると、ー「安政元年12月21日(新暦に直すと1855年2月7日)に日露和親条約が結ばれ、北方領土が日本の領土として認められたことに由来」−とあり、政府が、北方領土返還運動を盛り上げる為に、1981年に制定したということだ。 しかし、この盛り上がりの無さ、そして1981年に至って、『北方領土の日』 を制定しなければならなかったことを考えると、少なくとも戦後の日本人は一貫して、領土問題には無関心だったようだ。 
 それは同様に、韓国、中国との国境線問題にも言えることで、その縄張りへの無頓着さは、ある意味、「美しい国」 の名に相応しいと言える。 しかしこれは戦後に限ったことではなく、これだけの大国でありながら、歴史を通して、二度しか他国への侵犯行為をしなかったというのは、実は世界に誇れることなのかもしれない。
 しかしそれは、日本人が特別倫理意識が高かったとか、逆に自閉的だったというわけではなく単に “無頓着” だっただけなのだと思う。 誤解を恐れずに言えば、日本人にとっての─国土─というのは、領土や縄張りといったような、きな臭いイメージとしてあるのでもなく、また、郷土や故郷といった共同体意識と共にあるのでもなく、それは、─「仮の住まい」─ としてあるのではないか。 
 変な例えだと思うかもしれないが、例えば、北海道に、東広島市があるのは、また東京に東久留米市があるのはなぜか? これは明治政府による、強制移住のせいだが、そのことが問題になったと言う話しはきいたことがないし、この二つの例に限らず、あちこちで大規模な移住が平和裏に行われている。 要するに、生まれ育った土地への執着がそれほどない。また、突然話しは飛ぶが、日本では、原発反対運動が、他の先進諸国に比べてはるかに早い段階で、条件闘争に移ってしまうという。 つまり美しい日本の郷土愛は、けっこう相対的なものなのだ。 本当は、われわれが思っているよりはるかに、故郷意識は希薄なのではないか。 (『美しい国へ』や、『東京タワー』や、『国家の品格』が受けるのは、そのことの裏返し?) 

 だいぶ前にこのブログに、、『仮の宿』というタイトルで日本人の居住感覚について書いたが、いずれにしても、日本人にとっての「郷土」とは、おそらく西洋風な意味での、「存在」とか「実存」とか、「リアリズム」 とは、関係の無い概念の中に在ると思う。 

 そう考えれば、せっかく故郷の自然を守ろうと始めた、「脱」ダム宣言が、脱『脱』ダム宣言に変わってしまった日が、『北方領土の日』 だったというのは、なんともひにくな話しだ。【M】