■「物作り」大国─80パーセントの時代1

 先日、会社で使っているMacのOSをバージョンアップしようと思って機種をG3からG4に変えたのだが、パソコン内のデータを移動するために買った、ウィンドウズ/Mac共用のCDドライブの調子がどうしてもおかしい。そのドライブをつないだままパソコンのシステム終了しても、なぜか勝手に再起動してしまうのだ。ネットで原因を検索しても解らなかったのでメーカーに問い合わせたところ、「それは製作過程で技術的に解決しておらず、お客様には、終了直前にケーブルを抜いていただくようにお願いしています」、とのことだった。 一瞬、「えっ!」と思ったけど、なぜか納得してしまった。IT機器とはそういうものなのかもしれないし、そもそも安い。しかし、少し前なら、よほど特殊な機械でないかぎり、未完成のものを商品として売るということは考えられなかったはずなのだが、自分も含めて、現代のユーザーは、とりあえず目的が達成できて、しかも安いのであれば、かりに中途半端な商品であっても納得することができるのだ。

 先日の日曜日、急成長するベンチャー企業の社長を呼んでインタビューするという番組を見ていたら、熟練金型工の手仕事をそのままデータ化して、人の手の仕上げを必要としない、高精度のハイテク掘削機械を作ったという社長が出ていた。日本の金型製作技術は素晴しく、それは経験を積んだ熟練工によって支えられていたのだが、この人の話ではこれからの金型は、人の手を必要としないらしい。これは一見、見事な技術革新のように思えるが実は、「熟練金型工のレベルに、ある程度近づければいい」、という心理がそういう発想を促すのであって、多少の問題の残る金型でも、早く安く出来る方がユーザーに喜ばれると考えているのだ。 偶然、自分の会社の裏に、金型屋の工場があって、日々高齢の金型工が小さなやすりで金型を仕上げている姿を見ているためか、番組中に、長髪で細身で眼鏡をかけた若僧のコンピュータープログラマーが、データを採るために、熟練工の作業を覗き込んでなにやらメモを取っている姿が、やたら空々しく感じられた。


■そういえば、だいぶ前に、レコードとCDの音の差について書き込みをしたが、どうしても、アナログのものをデジタル化すると、必ず「何か」が消去されてしまう。レコードには普通に聴いただけでは聞こえてこない、未知の音がいっぱい録音されているらしくて、音響メーカーの技術競争は、その音をどうやって引き出すかという競争だった。しかし、ある時点から、その競争はやめて、聞こえる音だけの世界に留まって、いかに安く一般大衆に曲を提供できるかという競争に変わってしまった。要するに、「良い物」には力技ででも上限を設定してしまった方が、社会は「数的」に発展することが分ってしまったのだ。【M】