■総括 「美しい国」の国民の─憲法─

本来、必修科目であるはずの「世界史」が、履修されていなかったという事態は、結果的に全国の高校に広がっていた。社会科目の選択のシステムにも確かに問題があったし、他の科目の未修もあったのだが、その多くが「世界史」であったことは、日本人にとって「世界史」とは何なのだろうということを考えなければならない事態でもある。


 明治以降、特に日露戦争以降、日本は世界のなかで、主役の一人といってもいいほど、歴史に深く関与してきた。それは戦後においても、アメリカを支援するというかたちで、朝鮮、ベトナム戦争からイラク戦争に至るまでつづいている。しかし、現代の日本人の心のなかに、「我々も世界史に深く関与している」という意識が本当にあるだろうか。
 明治から、昭和初期に至る時代がどうだったのかは判らないが、しかし、戦後、日本が実質的にアメリカの庇護の下にはいってからは、世界史にリアリティーを感じることがなくなり、「世界史」は、自らの主体性とは無関係の、単なる「教養」としてしか認識できなくなってしまったのではないだろうか。

 しかし世界史が「教養」という認識に留まっていることの問題の、根は深い。なぜなら、先進国として世界史に関与し、その多大な影響を他の国々に及ぼしたことに対しての「責任感」が日本人の心のなかから、欠落していることになるからだ。 この責任は、もちろん同等に西欧先進諸国にも及ぶものだが、日本人の場合は、かつてのドイツのように自己批判するのでもなく、アメリカのように自己正当化するのでもなく、自然に「希薄化」つまり忘却されてしまっているように感じられる。
 そのような責任感の欠如は、例えば、靖国問題や歴史教科書問題での歴史認識の「すれ違い」の大きな原因となっているのではないか。日本人からすれば、謝罪もし、経済援助もしているのだから、中国や韓国からの要求は、内政干渉として映るだろう。 しかし彼らからしてみれば、足りないものは謝罪や経済援助を、心的に担保する、「責任意識」 なのではないだろうか。つまりそれは日本が、近代を通じて大国であり、世界史に深く関与し、結果的に当時、弱者であった他国に大きな影響を及ぼしてしまったことへの─「主体的」な自覚と責任意識─だ。


 しかし、そのように考える時、最近、公私の場で語られる、「美しい国」 という表現には違和感を感じざるを得ない。かつての教育勅語でも、歴代の天皇が営々と築いてきたという国の姿(国体)を、─「美」─という言葉で表現しているが、その意識の底には、歴史の流れ全体を、結果のみから評価するという意識がはたらいていると思う。つまり現在が幸福であれば、そこに至る歴史の流れは、結果的にはすべて正しかったと判断してしまうということだ。良かった時も悪かった時も、俯瞰視線のように、平板に均されてしまうのだ。例えば、広島、長崎の原爆投下も、戦争を終わらせるためにはしかたがなかったと感じる日本人の感性には、このような心理が働いているのではないだろうか。
 しかし、ここで意識されなければならないことは、わずか70年前、二度と繰り返したくない、歴史の現実に直面していたことさえも忘れてしまっていることだ。当時は、とても「美しい国」という表現はできなかったはずなのだ。しかし、悲惨な状態を招いた理由も何一つ検証されないまま、あるいはアジアとの和解がなされないまま、今、私達は 「美しい国」 という表現を使うことができてしまう。事の善悪は別として、日本人は、苦しみも、怒りも、そして悲しみさえも、記憶として持続させることができないのだろうか。
 しかし考えてみれば、西暦を持たず、天皇の代替わりのたびにリセットする歴史を繰り返してきた日本人の、これが現実の歴史観なのであって、そのこと自体を議論してもあまり意味のないことのようにも思える。必要なことは、日本人は「歴史認識」に対しては、─「特殊」な感性─を持っているのかもしれないということを自覚し、そのことを常に意識の片隅に置いておくことなのではないか。例えば、そのような自覚や自省を持っていれば、アジアとの関係はもう少し違ったものになっていたかもしれないし、前述のような、「世界史」を他の試験科目と入れ変えることは、少なくとも躊躇されるはずだ。


 しかし、深刻な問題として捉えなければならないことは、記憶が持続しないということは、それが何であれ、繰り返される可能性があるということだろう。悲惨な歴史さえも、─「美」─ として感じてしまう感性には、いつもその危険性を認識していなければならない。今、日本は、憲法9条を変更しようとしている。しかし、自らの感性の「欠点」を自ら自覚し、憲法によって自己規制することこそが、先進国としての責任の在り方であり、それが─「美しい国」─の定義なのではないだろうか。