時代の─「気分」その2

■前回の内容の「天皇機関説」についての補足─

同じ帝大の法科の教授である右派の憲法学者上杉慎吉と、美濃部との紙上での論争が拡大し、ついに「天皇機関説」が議会での問題に発展した。そのため貴族院議員でもある美濃部は、昭和10年2月25日、日本中が注目するなか、議会での弁明を試みることになった。その一部の抜粋。


─「天皇が国家の機関たる地位におわしますというようなことを申しますると、法律学の知識の無い者は、あるいは不穏の言を吐くと感ずる者があるかもしれませぬが、その意味するところは天皇はご一身、御一家の権利として統治権保有し給うのではなく、それは国家の公事であり、天皇はご一身を持って国家を体現し給い、国家のすべての活動は、天皇にその最高の源を発し、天皇の行為が天皇のご一身上の私の行為としてではなく、国家の行為としての効力を生ずることを言い現すものであります」─


 この演説は一時間にも及ぶものだったが、一貫して美濃部は、「国家統治の大権は、天皇にある」と説いているのだ。 そしてそれは、論敵であった貴族院議員、菊池武夫にも、美濃部の説を認めさせ、また翌日の各新聞の社説でも、美濃部の説を支持する内容だったのだ。しかしなぜかその直後から、政界、軍部、そしてマスコミからも強烈な、美濃部パッシングが始まる。 例えば、海軍大臣は、
─「私は法律上の解釈をお答えする考えはない。極めて常識的に軍人としての信念を申し述べたい。わが国体の世界無比尊厳なることは一切の議論を超越している。故に、この信念に反するような言論は承服することはできない。 むしろそれらのことについてかれこれ申すことすら恐くの至りに堪えないものである。これは議論ではなく信念である」─


 朝鮮半島を併合し、満州を占領し「世界無比尊厳なる国体」とまで思い上がった日本人の社会心理は、このような「感情論」と「理論」とを比べる理性を忘れさせ、日本人を民族意識高揚の快感に耽らせたのだが、それは、近代化とは逆行する幼稚でプレモダンな心理だった。 要するに「天皇機関説」論争とは、右派と左派によるイデオロギー闘争のようなものではなく、本来学術用語でしかなかった「機関説」という言葉に対して行われた、そのモダン性ゆえの、右傾化しようとする社会心理による、「言葉狩りだったのだ。
 このようにあからさまに根拠を捏造するような─「右傾化」─が、その翌年の「2・26事件」の土壌となったのは間違いないだろう。【M】


以上、資料は、松本成清張 文春文庫「昭和史発掘」6