もう一度だけ─『名前ランキング』男子編

名前ランキング 「女子編」 に続き、「男子編」。


「女子編」に書いた通り、男子の名前から世相を読むことは難しい。 「」しくあってほしいとか、「」くあってほしいとか、「」ましくあってほしいとか、「」「」であってほしいというような、あたりまえの名前が、大正、昭和年間を通して上位を占める。
 しかし、そのなかで、どうしても─不可解─な事実を発見した。 これはどう考えてもおかしい。あらゆる可能性から推察してみても─謎─としか言いようがないのだが、それは─どうして、「一郎」と、「三郎」がたくさんいるのに、「二郎」 がいないのか?─ ということだ。 ふざけているわけではありません。大正元年から、昭和初期まで、「一郎」と、「三郎」 はずっと上位を占めているのに、「二郎」は 一位から十位までの『名前ランキング』 に一度として登場してこいないのだ。 次男の「二郎」 はどこへ行ってしまったのだろう。

 さらに言えば、なぜか、「一郎」 より、「三郎」の方が多いのだが、これは、「一郎」を飛ばして、いきなり「三郎」と名づけた人も多いということで、これも不可解だ。 ひとつ考えられるとしたら、─むかしの人も、名前の表意的な意味だけでなく表音的な、「イメージ」も考えていた─ということだろうか。 今でさえ、名前に付く漢数字には、生れた順番というイメージがあるが、昔の人も、実は 「三郎」を、単純に三男坊に付ける名前だと考えていたわけではなく、─「サブロー」─という響きに、何か形式を超える魅力を感じていたのではないか?。そうだとしたら、これは意外なことだ。(そういえば、プロ野球には、「イチロー」と「サブロー」はいるが、「ジロー」 はいないな) 
 このことは、例えば、大正元年の一位が、「正一」、翌年の一位が「正二」、そのまた翌年の一位が、「正三」 という、分りやすい順位であったことを考えると、昔の人にとって、この─「サブロー」─ という名前は何だったのだろうという、打ち消しがたい疑問が涌いてくる。 ひょっとしたら、「大正浪漫」 とかと、何か関係があるのではないかとか、西洋っぽい「響き」に聞こえたのだろうかとか。 だれか分かる人がいたら、是非教えてほしい。


●あと、『名前ランキング』男子編に、視るべきものはないが、ひとつ付け加えるならば、 平成時代にはいって、やたらと 「」 という文字が目立つことぐらいか。 なぜあえて取り上げるのかというと、同じ漢字でも、かつての 「」や「」や「」と比べて、なにか、おおざっぱというか、思想性がないというか、方向性がないというか、そういう何か─空漠─とした感じが、今の時代の世相を反映しているような気がするからだ。【M】

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