「プロ野球の終末」 プレーオフという暴挙!

来年から、セントラルリーグでも、プレーオフが導入されることになった。 しかし単純にプレーオフと言っても、その内容が凄い。 その年の優勝チームはあくまでもペナントレースでの勝率できめるが、それとは無関係に、上位3チームで、パリーグと同様のプレーオフを行い、パリーグの勝者と、日本シリーズを戦うというのだ。 極端な場合、といっても充分可能性はあるのだが、各リーグ勝率3位のチーム同士が、日本一を目指して戦うことになる、とはいっても、本当の勝者は、ペナントレース勝率一位のチームになるというのだから、これでは本当に強いチームがどこなのかがさっぱり判らない。  確かに、昨年一昨年と、パリーグプレーオフは盛り上がりもしたが、今回セリーグがこのような変則プレーオフを導入するということは、本質的には、日本人は、プレーオフという制度を認めていないと考えるべきで、下手をすると、ほんとうにプロ野球が終わってしまうかもしれない。


 アメリカの文化が、やはり日本とは─異質─だと思ったのは、一昨年、ボストンレッドソックスが、ワールドチャンピオンなったときの、ファンや選手の屈託のない喜び様を見た時だ。 長期戦のペナントレースではヤンキースに敗れたのに、プレーオフという、選手の調子や運にも左右されやすい短期決戦に勝ったということだけで、どうしてあそこまで屈託なく勝利に酔えるのか?
 

 日本のプロ野球ファンならほぼ同じ感覚を持つと思うが、日本人にとって重要なのは、ペナントレースに勝つことで、日本シリーズは、どちらかというと、お祭り的なイメージがあり、本当の実力は、短期決戦で決められるものではないと考えている。 もちろんアメリカでも、実力を競っているのだが、日本と決定的に違うのは、単なる力だけではなく、─「幸運」を競う─ということが、重要なファクターになっていることだ。 強者とは、「幸運」をも合わせ持つ者のことなのだ。


 プレーオフによって勝者が決まるのは、野球だけでない。 「バスケ」も「アイスホッケー」も「アメフト」も、プレーオフに進出することが本当の戦いの始まりであるかのようだ。 長いシーズンはそのための試練であり、ファンにとっても、そちらの方が、ゲームを楽しむお祭りであり、本当の戦いは、プレーオフから始まるのだ。
 なぜそうなのかと考えると、やはりそこには、アメリカ人の、いや、キリスト教徒達の、─宗教性─を視ないわけにはいかないのではないか。 サッカーW杯の時の投稿にも書いたが、同様に、「実力を持ち、しかも神に愛された者が本当の勝者となる」 というストーリーを導入しなければ、アメリカのプロスポーツを理解することはできないと思うのだ。


 日本には、そのような宗教的感覚が、まるで無い。 日本のプロ野球が本当に盛り上がるためには、12球団を1リーグ制にして、長いシーズンを通して、勝率を競う形にすることが、一番自然な姿なのだと思う。【M】