プチ「ネオ・コン」達のみっともない話

まったく東京都教育委員会の、教員への締め付けは酷いものだった。長男の小学校の入学式だったが、あらかじめ派遣された教育委員に、どの教員がどの場所に座るかのリストを学校から提出させ、ひとりひとり国歌斉唱ではちゃんと起立しているか、ちゃんと歌っているかをチェックしているのだ。 おかげで「国歌斉唱!」という時になっても、新入生が歌えるはずもないし、5・6年生のか細い歌声が聞かれるだけで、教員も、父兄もみんなただの「クチパク」状態。これほど教育に良くないことがあるだろうか。それだけではない。これからは、起立斉唱しない生徒がいた場合、その担任を処分するつもりだったようだ。つまり教育委員が教員にしたことを、今度は教員が児童にすることになるのだ。
 「敗訴するなんて1パーセントも考えていなかった」なんてコメントする都教育委員会は、ただうそぶいているのか、本当のバカなのかは知らないが、いったい自分達を誰様だと思っているんだろう? どう考えたって処分できる「根拠」も「権限」もないではないか。まったく木っ端役人の「ネオ・コン」気どりほどおぞましいものはない。
 構造的には、正義のためなら空爆も辞さないとか、現憲法下でもイラクに派兵できるというような、真性ネオコン達の妄想に等しいのだが、おぞましいのは、地方の小役人達のそれが、さらに下っ端の、それでもまだ多少はましな、か弱い教員達への─虐めへと転嫁─されていることだ。

 しかし、東京地裁の「日の丸、君が代は、いまだ戦争を引きずっている」から、という理由は、本来的にずれているし、法務大臣の、「ユニオンジャックだって血塗られているじゃないか」という都教育委員会擁護の発言も、もっとずれている、というか、トンチンカンだ。 都の対応を違憲とするならば、単に 「権限がない」 と言えばいいのだし、国歌、国旗を強要したいのであれば、終戦後の和辻哲郎の発言のように、─「民度の低い日本人には、強制するものがないと、ファシズムアナキズムに陥ってしまう」─と、正直な気持ちをいえばいいのだ。【M】