お世継ぎ誕生!

 皇太子の弟夫婦に男の子が生れた。 この子は、今後何事も無ければ、次の次の天皇になる。日本人は、あと数十年?は、「日本国民の統合の象徴」 を仰ぐことになるのだ。
 

 いま、小熊英二という若い歴史学者の、『民主と愛国』 という本を読んでいる。 以前から持ってはいたので、読みたかったのだが、なんせ1000ページにも及ばんとする大著なので、読み始めるきっかけがなく、この間、もうすぐ皇太子が生れるかもしれないというニュースをきっかけに読み始めた。
 この本のテーマは、─「民主主義」と「愛国(ナショナリズム)」─という矛盾する概念に、戦後日本は、どのように折り合いをつけていったのかということだ。 今ではほとんど語られることのなくなった、この普遍的な問題が、終戦直後、多くの知識人たちによって議論されているのだが、興味深いのは、単に左翼的な立場から、天皇が攻撃されるのではなく、ナショナリストの立場から、 日本人の、「主体性」 の確立を考えたとき、「天皇制」は害悪であるという発言も多く出されていたということだ。
 さらに面白いのは、 和辻哲郎のように、 民度の低い日本では、天皇制を廃止したりすれば「アナキズムと独裁」に陥る と、考えていた、「オールドリベラル」と呼ばれた、自虐的?保守系知識人も多くいたようで、 終戦直後の日本にとって、「天皇制」 の扱いは、切実な問題だったようだ。 (現代のノー天気な保守派とは隔世の感があるが)


いまは、左翼系のメディアでも、共産党でさえも、「天皇制」 そのものを問題にすることはほとんど無い。 別にタブーとなっているという感じでもなく、 単に、深く考えることが面倒くさくなっただけという印象さえ持ってしまう。 しかし、─「主体性」(民主) と、「天皇制」(愛国)─の問題は、全く解決されたわけではなく、 ただ先送りしているだけだということはいつも考えていないといけないと思う。 ずーと前にも書いたが、天皇の代替わりの度に、日本人は、都合の悪いことを忘れ去ってきたという現実があるのだ。【M】