9月5日は─「戦勝記念日」の、はず─

9月5日という日は、日露戦争終結し、日本全権小村寿太郎とロシア全権セルゲイ・ウィッテの間で、ポーツマス条約が締結された、誇るべき 「戦勝記念日」 だ。 しかしなぜか日本人は、アメリカに負けた、「敗戦記念日」の事しか頭にない。右翼や保守派達も、8月15日には靖国で気勢をあげているが、日露戦を勝利に導いた、靖国の「英霊」達にはあまり関心がないようだ。

 国民的ベストセラーとも云える、司馬遼太郎の 『坂の上の雲』 を読むと、当時の日本が、いかに勇敢に、しかも知的な外交を廻らし、大国ロシアを相手にぎりぎりの勝利に導いたかということがよく解る。世界を驚愕させたこの戦いの真骨頂は、先進ヨーロッパ諸国にもなかなか真似のできない、軍事、外交両面の、「モダニティー」なのだ。 もちろん、労働運動など、ロシアの国内問題にも助けられたことも事実だが、日本政府はしっかりと、レーニンに多額の活動費を渡している。ちゃんと世界情勢を読み、実力で勝ち取った、誇るべき「僅差の勝利」なのだ。

 しかし、どう言う訳か、この日露戦を境として、日本は民族主義国家へと変貌してしまう。もちろん国家社会主義社会としての実力は増してゆくのだが、その内面では、「主体性」の確立はおろか、逆に、「天皇」の存在が肥大するのだ。本来であれば、国民の総力で勝ち取った戦争の後は、国民の要求に答える形で普通選挙法が施行され、ヨーロッパ型の、議会を中心とした、「立憲君主制」の時代が訪れてもいいのいだが、日本に普通選挙法が施行されたのは、その後15年も経って後のことだ。日本国民は、なぜか、日露戦争の勝利を、「精神の糧」とすることができなかった。

 この、「世界の七不思議」と言ってもいいような日本の短期間の変貌、その後の、モダニティーのかけらもない15年戦争の惨めな敗戦まで含め、「近代」を消化することのできなかった、日本人の社会心理の「謎」を解き明かさない限り、日本人の歴史を総括することは絶対に不可能だ。【M】