●;「わいがや①」9月の話題は皇室

●;「わいがや;①」は《マーケットについての議論の場》。毎月第一木曜の夕行われている。「マーケティング」についてアレヤコレヤ自慢げに/奥ゆかしく語る他者の講釈を(時には反発し/感心しながら)「ご自分の場」に持ち帰るキーワードが得られれば、お互いに幸い!というものとして、営々と続けている。《議論の場》だからと他者をないがしろに抑圧的に言い負かす「ディベートの場」ではない。むしろ「ある業種の商いの現状-現在」について<知り>(ヘェー!)、<納得し(ナルホド!)と膝を叩き「アッ!」という事業、商品、販促などの「各種企画」へ繋がるものを見つければもっけの幸い。「わいがや;①」は(もろもろの)企画産出のための<ブレーストーミングの場>である。「どなたでもいらっしゃい!」。何人も拒まない。勘違いしてひたすら名刺漁りに来る人もいないではないが、よくある(凡庸な)異業種交流会ではないことがわかると二度とその人は参加しない。ま、それもいい。
●;時に社会的な話題に触れてしまうこともある。世を震撼させた「事件」があった時、それが話題の中心に座ることもある。時候の挨拶みたいなものである。だが、時務情勢論を闘わす《場》には(絶対に)しない。例えば、9・11テロが起きた直後、その衝撃がつい人にしゃべってみたくなることは、否定しないが、そんな時でも、ひたすら「マーケット」について考えようとする」のが「わいがや;①」と限定れいしている。「政冷経熱」ではないが、いつも《新しい仕事/儲かる仕事》を他者の知見を通して考えようとする人たちの《場》である。
●;一方の「わいがや;②」は《コンテンツ事業(者)の集まり》だから「話題の本」を媒介にして議論が進む。ここでも、時務情勢論は要らない。「余所でやって!」である。そのベストセラーが耳目を働かせているとして、そこで生まれている「欲望」について語る/分析的に語ることが重要で、それらを《自分の場》に引き寄せるのが大事なのだ。
●;9/7日の「わいがや;①」は、秋篠宮の第三子が男児であったことが世間の話題になっているせいもあり、どなたかが口火を切った。ただ、テレビや新聞などで政治家や皇室記者や評論家の発言の口移し発言が続いただけでは、おもしろくもなんともない。床屋政談の類とマーケットの中心へ向かうべき論議とは、位相が違う。