「玉砕」─『散るぞ悲しき』

「玉砕」─玉が美しく砕け散るように、名誉や忠義を重んじて、潔く死ぬこと広辞苑


 軍隊が全滅した時によく聞く言葉だが、実際の戦闘での─「玉砕」─は、そんなイメージとはかけ離れたものであったことが、硫黄島の戦闘からの帰還兵の証言からよく解る(NHKスペシャル「硫黄島玉砕戦」)。 日本兵21000人の内帰還兵わずか1000人という正に全滅に等しい愚劣な作戦だったのだが、火炎放射や手榴弾、煙幕などで、攻め立てられる「壕」のなかに息を潜める夥しい数の日本兵達は、突撃玉砕することも、降伏することも許されず、死体の山の中で、自らの死を待つという地獄のような状況に追い込まれた。
 硫黄島を死守せよ」─という参謀本部の命令に忠実であった、特別召集の10代の若者と40代の兵士たちは、大本営にとっては、次なる沖縄戦のための時間稼ぎの─捨石─だった。 米軍を足止めするために、「玉砕することなく、じっと壕の中で耐え忍べ」という作戦だったのだ。投降しようとする者は当然のように殺される。


 しかし最近なぜか、そのような作戦を指揮した、陸軍中将(後大将)栗林忠道の評価が高い。栗林が忠実に守ろうとした「時間を稼げ」という命令は、作戦といえるものではなく、若いあるいは老いた兵士達に、突撃も投降も許さず、ただ、地獄のなかで死を先送りさせるというそれだけのものだったはずだ。 20000の兵士の死によって作られた「時間」はおそらく次なる玉砕地、沖縄に、硫黄島のような網の目のような「壕」を掘ることにでも費やされたのだろうか。
 垣間見えてくる、栗林中将の評価の根拠は、作戦に忠実であったことを除けば、実に日本的なものだ。 例えば、兵士に優しかったこと。 自分も末端兵士と同じような苦しみを味わっていたこと。 そして何より、多くの手紙によって、家族を労わっていたことがわかったこと、等が主な理由のようだ。 われわれ日本人にとって、このような理由は、20000人の兵士の遺族達の、息子や、夫や、父が殺されたことへの恨みを忘れるのに、充分なのだろう。


 『散るぞ悲しき』 という40代の女性が書いた本が出ている。 栗林忠道人間性について書かれているようだが、未読なので、詳細は知らないが、 21000人の命を預かる「責任者」の評価と、ひとりの「人間」としての評価をしっかりと分けて書かれたものであればいいと思う。 そこが混同したものであれば、小林よしのりと同等の、「自閉的な共同幻想」を作り出すだけの、「害悪」にしかならないだろう。【M】