栗林中将の功罪

先日、前回投稿の、[玉砕」─「散るぞ悲しき」を、ほぼ同じ内容で、別の掲示板に投稿したところ、一気に100を超える批判が来ました。おおむね、頑張った栗林中将をなぜ批判するのか?という内容だったので、以下のような返信をしました。─この場をお借りして。【M】


「事を、硫黄島守備作戦に限って考えれば、参謀本部の推奨する水際作戦を変更し、地下壕をはりめぐらせ、ゲリラ戦を戦うという栗林中将の戦い方は、利に適った作戦だったかもしれない。実際に米軍は、ひとつの作戦としては、太平洋戦争で最大の被害をだしている。

 しかし、硫黄島での戦闘は、ほとんど勝利の見込みのなくなった、1945年に入ってから行われたものだ。 しかも栗林忠道自身、約3年半、アメリカとカナダに、駐在武官として赴任し、その時の経験から、「アメリカは最も戦ってはいけない相手」と、語っているのだから、硫黄島を仮に死守できたとしても、日本の敗戦をほんのわずか遅らせることができるだけということは、栗林中将が一番よく知っていたはずだ。

 硫黄島での最高責任者として、あの時、敗戦が濃厚になった時、しかもアメリカを熟知し、捕虜となっても殺されることは無いと知っていた陸軍中将が、21000人の命を、しかも10代の若い命を、地獄のような苦しみのなかで奪ってしまう作戦を採ったことが、はたして評価できるのだろうか。 逆に、沖縄戦では硫黄島での経験を生かした米軍の、対ゲリラ作戦が功を奏し、硫黄島を遥かに越える被害を出す結果となってしまった。 意地悪な見方をすれば、硫黄島での時間稼ぎが、日本の被害を増大させたということもできるのだ。

  聡明な栗林中将が、なぜあの時期に「玉砕」(全滅)を選んだのか。 硫黄島死守作戦の問題の核心は、このことに尽きると思っている。私は、栗林中将のこの時の心境は、日本人に特有の、ある種の「無常観」に包まれていたのではないかと感じている。それは、先天的な日本人の精神的欠陥からくるものだと思っているが それは何か。結論的にいえば、─「日本人にとって生き抜くことは絶対的に重要なことではない」─と、感じているということだ。「浮世思想」と言ってもいい。 
 硫黄島の戦いの中で、栗林中将の心の中に、そのような無常観が支配したことは充分考えられると思う。陸軍大学の秀才が、合理的判断を「から心」(洋才)として退け、情緒のなかに浸ってしまったのだ。」