「マニュアル化」社会の問題─1

「危機管理をマニュアル化する」といえば、何かいい事のように聞こえるが、じつはこの方法では、本当の危機には、対応できない。瞬時の判断を必要とする場合、「マニュアル」がネックになることは容易に想像がつくだろうし、じっさいの運用面でも、「マニュアル」の存在によって、身動きが取れなくなる場合もじゅうぶん想定できる。

 「マニュアル化」による弊害には様々なことが考えられるが、ひとつは今書いたように、瞬時の判断が許されなくなることと、もうひとつは、絶対にマニュアル化できない問題が議論されなくなるということ。それは逆に言うと、あらゆることをマニュアル化せざるを得なくなるということでもある。また、実際の運用面では、常に末端に責任が及ぶということだ。管理側は、マニュアルを作ることが主な仕事となってしまい、末端はただそれに従えばいいという構造になってしまう。ましてやマニュアルそのものが杜撰なものであれば、結果は悲惨なものになるだろう。
 また、「マニュアル化」は、結果的に、「責任」体系を曖昧なものにしてしまう。本来的に言えば、マニュアルを作るということは、現場を視る必要がなくなるということで、管理サイドと現場サイドが隔離してしまい、結果が悪かった場合、それぞれがそれぞれに責任を押し付けるという構造ができてしまう。

 すでに書いたが、「マニュアル化」の難しさは、マニュアルを作っても、そこから洩れてしまう問題が必ず出てきてしまうことで、結局、際限の無いマニュアル化を必要とすることだ。例えば、「耐震偽装」事件では、合理化のために民間の検査会社を認めたが、結果的に、その民間会社をチェックするマニュアルができていなかったから、その上にチェック機関をつくらないといけないとか、結局、マニュアルによって管理するということは、結果的にはコスト高になってしまうばかりでなく、実は、マニュアルによって決められた運用機能が正常に働くまで、膨大な時間と、失敗を必要とするということだ。【M】