日本人の精神的欠陥ー和を持って尊しとなすー

述べ床面積145㎡に児童90人先生5人という、難民生活状態の「学童」の家屋を建て替えることになり、その骨子について、父母達が、市役所の担当者と話し合いを持つことになった。 市側が基本プランを作ってきたのだが、来年には児童が100人を超えることが分かっていながら、なぜか166㎡しかない。 それでは建て替えのの意味がないので、予算が無いのかと訪ねると、そうではなく、去年別の小学校で建てた、約220㎡の建物と同じ額の予算があるというのだ。 
 話し合いには、市側からは、児童課の課長(今回の責任者)と、実際に建設を担当する、何とか課の課長等がきていたのだが、その、何んとか課の課長が言うには、「木を守る会」という組織があって、そこから、あまり多くの木を切らないでもらいたいという要請が来ているらしいのだ。 実際200㎡を超える建物を作るには10本ぐらいの木を伐採しなければならないのだが、しかし、回りでは建売住宅を建てるためにどんどん雑木林を根こそぎにしているのに、どうして、せいぜいテニスコート二つ分ぐらいの、しかも100人を超える児童が生活する場所で、木を守らなければならないのか? 何んとか課は、どうやら、「木を守る会」の言い分を聞く担当課でもあるらしいのだが、その課長は、「父母会」と、、「木を守る会」の両方の立場を考慮しなければならないと思っているらしい。
 問題はそこからなのだが、その、「木を守る会」の言い分を、「児童課の課長」は、どう思っているのかと訪ねると、やはり、「両方の立場を考慮しなければならない」と言うのだ。 そこまできてさすがに我慢できなくなり、 「あなたは、幹事さんではないのだ。あなたは児童課の責任者なのだから、児童達の立場に立って行政を考える義務があるのではないか!」と怒鳴ってしまった。  どう考えても、小さな学童の敷地の木を切るなという、「木を守る会」という市民団体の言い分に無理があるのであって、はなっから戦う意思もなく、児童問題の責任者であるという自分の立場も考えず、丸く治まればそれでいいとする、このような男が、行政に携わっているのだ。

 これは、地方の、そのまた地方の行政にだけにおこる問題ではない。 患者と薬品会社の両方の立場に立ってしまったために、多くの犠牲者を出してしまった薬害エイズ問題。40年もほったらかしにされたハンセン病患者達や、中国残留孤児。 このような問題は、それぞれの問題にかかわる責任者達の、自分の職務に対する責任感が、大きく欠落しているから起こるのだ。
 ー和を持って尊しとなすーなどと言うのは、無能な役人たちの「逃げ」以外のなにものでもない。【M】