●;郊外都市→個人住宅

●;「わいがや;②」で論じた「郊外都市(論)」の「次」」は「個人住宅について」を論ずる流れになった。郊外都市のどこ見ても{同じような風景の連続」と‘荒れ’を見知っているが故に、戦後、急激に膨らみその地方の特質も失せた「近郊都市」については、何十年後の《都心》もまた廃墟化直前で「郊外都市化している》とかいろいろな意見が出た。狭い土地に立つ様々な意匠をこらした建築物が(絶えず)スクラップ&ビルドされていくのは「現代(資本主義)の宿命」だという意見も。土地の精霊を消し去って新しい建築物が造られて進むのは、歴史の必然という意見である。
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「土地の物語」を語ろうとすると不幸の始まりは「近代」である」