BSE牛肉輸入再開とC型肝炎訴訟

今朝のテレビで、元蔵相の浜爺が、日米の貿易問題がギクシャクしている状況では、輸入再開はしかたないみたいなニュアンスのことを言っていたが、まったく日本人らしい発想だ(韓国政府の対応と対比すると面白い)。これは、30年前に犯した、というか無作為であった厚生省のC型肝問題の判断ミスと、根底のところでつながっている。予想されることは、おそらく30年後、あの時輸入を再開した政府に対しての、ヤコブ病訴訟が行われるだろう。
 とにかく「生命の軽視」という日本人の精神的欠陥があることをはやく認めることだ。戦後このような様々な訴訟が行われてきたが、今現実に、BSE問題が目の前にあるのに、「自分にはあまり関係が無い」と感じてしまっている。 そしてこのことは、「自らの生命」に対しても、軽視しているのだと言うことを、内発的にではなく外発的に「飛躍」して考えなければならないという、ものすごくやっかいな問題をかかえているということの証拠でもあるのだ。

 
 松岡さんからコメントをいただいたが、裁判が長すぎるというのも、「人権」「生命」に対する軽視の問題が根底にあると思う。他人(原告)の人権の問題が深刻な問題だと感じられないのは、自身の「生」の問題を深刻に感じられないからだろう。ハンセン病訴訟にしても、残留孤児問題にしても、今回のC型肝炎訴訟にしても、自分自身が「人権」を無視された場合のことが内発的にイメージできないから、被害者たちの苦しみも深刻であるとイメージすることができないのだ。
 また変なことを言うと思われるかもしれないが、日本人の深層心理には、拭い難い「浮世」思想が染み付いていると思う(日本サッカーの弱点もそこに由来するがそれはさておき)。これは、モダニズム社会とも矛盾するものであり、解決の難しい、やっかいな問題である。ー[M]