「日本サッカーの弱点」ーその弐

日本サッカーの弱点をもう一つ。  
 ヨーロッパや南米の国々がなぜあそこまで熱狂してしまうのか? サッカーを単なるスポーツと考えるべきではないというのは当然として、もう一つ重要なことは、サッカーが、彼らにとって「どの民族が、神様に一番愛されているか」を競う「神事」でもあるということだ。その神は当然、「マリア様」である。人類史上初のグローバリズムを教義としたキリスト教は、異教徒を改宗させるために様々な手段を用いたが、その時に一番力を発揮したと言われるのが、土着宗教と、キリスト普遍宗教との潤滑材の意味合いを持たせたマリア信仰だ。  
 一神教の厳格な父性宗教に対する「マリア」信仰は、かつての多神教的世界の想いでを蘇らせてくれる、みんなの、つまり多くの民族の共通した「母」であり、またそれは、厳しい教義のなかに「祭り」を通して遊びを許してくれる母でもあるのだ。サッカーはそのような祭りの中から生まれた。共通の母を慕う、ヨーロッパや南米のキリスト教徒達が、自分こそ一番の息子でありたい、兄弟たちのなかで母親に最も愛された民族となりたいと切実に願い、競い合う舞台が、ワールドカップの本当の姿だ。 華麗なシュートと同様に、まぐれで入ったオウンゴールも同じように歓喜し、天に向かって祈りを捧げる姿は、単に一点入ったというだけでは説明ができない。彼らが競っているのは、技術ではなく「幸運」なのだ。    
 
 だからだと思うが、あれほど有色人種の移民が多いヨーロッパで、明らかに白黒混成チームを編成しているのはフランスだけではないか。プレミアリーグでは黒人ばかりが目立つイギリスでさえ一人二人しかいないし、ドイツ、オランダ、スペイン、ポルトガル、イタリアなどの強豪も、一人、多くとも二人しか出ていないし、東欧チームには皆無だろう。ワールドカップが民族の「幸運」を競う神事であれば当然のこと、他民族の助っ人はいない方がいいに決まっている。同じ民族だけで勝つほうが喜びは遙かに大きいのだ。

 ※ と、いう理由で、日本サッカーの弱点のもう一つは、日本が無宗教の国であるということです。(ただ、黒人系はサントスだけにしてほしいし、中田ヒデが韓国系だということで引いてしまう、という感情は自分にも少しあります)ー[M]