「貧清思想」のここちよさー2

無印良品」などの生活雑貨、化粧品ブースなどのデザインに、個性やオリジナリティーが必要とされなくなったということを書いたが、ほぼ1990年を境に、現代美術の領域でも大きな変化が顕れている。ポストモダンと呼ばれた80年代は、「表現」の時代だったといえる。「人の数だけ美しさがある」といったたぐいの「差異」「個性」が重視され、さまざまな表現の実験がなされ、それに対する批評も活発で、西武、東急などの民間資本がメセナの名の下に、都心に多くの現代美術の専用の美術館を作った。ところが、90年代にはいると、とたんに「表現」が外に向かうのではなく、アーティストの内側に向かって「内省」化してゆくのだ。作品も、それまで立体中心であったものが「平面」へとシフトする(立体は感情表現的であり平面は論理的であるとされることが多い)。当時30代の若い画家たちが、個性を「表現」することをやめて、絵画を描こうとする自分とは何なのかを「問」いはじめたのだ。ここには明らかに、高度成長からバブルに至る、日本社会とは何だったのか、そしてその結果として、そのような場所で何かを「表現」しようとする自分とは何なのかという自己批判的な意識が観てとれる。例えば、1991年にベニスビエンナーレに出品された内藤礼という作家の作品は、小さなオブジェが置かれた、それ以外には何もないテントの中に、観者は一人で10分間居続けなければならないというものだ。作家自身の表現ではなく、その中での自問自答を促すための「場」を作品として提供したのだ。
 90年代初頭の若いアーティストたちによる、このような美術表現の変化は、バブル崩壊による不況が原因ではないことは明らかだろう。異常な速さと、抗うことのできない近代化のなかで、アーティストとしてというよりも、もっと本質的な「生」のアイディンティティーの危機感が、彼らの作品のなかで、自己批判的な「内省」として顕れたのだ。(不況の原因は、主体性を求めようとする心理が、バブルに溺れるなかで、「差異」を消費することによってでは、自己を構築することができないということを悟ったからなのではないか)
 しかし残念なことに、このようなピューリタニズムとも言えるムーヴメントはその後に生かされることはなかった。「内省」化は、現在の日本の現代美術をリードすると云われる村上隆森万里子のようにその出口を「民族主義」へと向け、「内省」という自己批判からの、ある意味健康的ともいえる「不況」の問題は、ステイタスの放棄を正当化し、安価な物だけに飛びつくという物理的、精神的両面のデフレーションを引き起こすことになる。
 
 モダニズム(近代化)のあり方を「普遍的」なものとして捉えるべきではない。欧米でのあり方と、日本でのあり方とは違うのだ。姿形は似ていても、格差社会の構造も、不況の理由も、郊外化問題の構造も、普遍的なモダニズムの必然ではなく、日本において特殊なことだと考え、議論されなければならないと思う。「欲望の減退」という下流化、格差化は、強い者が勝ち、弱い者が負けるという、西欧的モダニズムの必然とはまったく違うものだ。
 最低限の生命倫理をも覆してしまった耐震偽装事件や、社会の保守化の問題、異常な事件の続発などの現象を目の当りにしても、他人事のような議論しかされず、危機感を感じることができないのは、かつてのモダニズムとプレモダニズムの戦いのなかで自らを傷つけ「血」を流すことをしなかったことの付けが回ってきたということなのかもしれない。(近代化とは、それまでのプレモダン社会と血みどろの抗争の果てにやむを得ず受け入れるものなのではないか)ーM