●;三浦展『下流社会』を巡って(1)

下流社会「上」が15%、「中」が45%「下」が40%時代がやって来る!】
●;今回の「わいがや;②」で、取り上げたのは、マーケティングアナリスト・三浦展のベストセラー『下流社会』(光文社新書)。本では2種類の「下流現象」の問題が示されていて、一つが、ある種の「欲望の減退」、これは主に上記の「上・中流」にカテゴライズされる人達に関わる問題です。「ユニクロ」や「無印良品」などの低価格雑貨やファミリー向けミニバンの流行が高額所得者層にも浸透していることに象徴される(スローライフ的な趣味、趣向の問題とも連関するが)、実は、消費を牽引しなければならない高額所得者層の心理に「自分はこのような立場に居る人間ではない」というような自省的な観念が働いているような気がしてなりません(以前テーマとなった「団塊の世代」問題に多少つながるかも)
 そしてもう一つが、物理的な貧困層、40パーセントを占める「下層」の問題です。5000万人近い人口を単純に「下層」ということはできず『年収300万円時代を楽しく生き抜く』ような「中の下、下の上の層」と、オンラインショップ「アマゾン」の出荷作業場でアルバイトをするような、若・中年フリーターなど「下の中、下の下の層」とは分けて考えますが、前者の問題は、「上・中流層」のさらに縮小版であることに加え、彼らのなかに、全くと言っていいほど「上昇志向」がないことです。日々の小さな楽しみに幸せを見いだし、あてがわれたもの(遊園地的)を疑うこともなく受け入れる。(『下流社会』ではそのような社会を批判的に描いたアメリカ映画『トゥルーマンショウ』を紹介しています)
 後者の問題としては、あるデータで「上・中」と「下」の趣味の違いを紹介していますが、「下」ではパソコン、インターネット、テレビゲーム、ビデオ鑑賞の占める割合が多く、自閉的で外部との接触が持てない等を挙げています。しかし問題だと思うのは、このような層の若者のなかに、ネット右翼といわれるような、偽民族主義が蔓延しているように感じることです。前回の「わいがや;②」で議論された『嫌韓流』もそのような若者に支持されているようですが、困るのはそれが、単純な保守派支持にも繋がってしまうことです(『下流社会』でも、「下」層階級に自民党支持者が多いことをデータとして挙げています)。自らの中にに見いだせないアイディンティティー民族意識に見いだそうとすることは、幼稚で危険なことです。
●;『下流社会』に書かれていることと、これから迎えようとしている、小泉さんも確約された、格差社会を、社会心理学的に分析しておく必要があると思います。たとえば、『国家の品格』が『バカの壁』よりも早く200万部を突破したことは、外面的「上・中」流層の内面は、実は「下」層化しているといえるのではないかと思いますし「共謀罪」に対しての社会の鈍感さは、日本社会全体の上昇思考や、バイタリティの減退を象徴しているような気もします。いずれにしても、『下流社会』という本は、著者自身の思考よりは様々なデータを重要視しており、その部分だけでも、充分価値のあるものだと思います。
……これは提起した人の一部、で「わいがや;②」は始まった。
●;参加者は池田光一さん(東山出版)、鈴木謙一さん(しるく舎)、村上和巳さん(戦争ジャーナリスト)、石崎幸広さん(国際文化協会)、森利行さん(あとりえアイ)、倉内慎哉さん(日新報道)の各氏とCCG側からは高岡武志といういつもの面々。
●;「下流の人々」の諸相について、各人が散見した話が飛び交った。団塊ジュニアの子どもの名前には「〜子」と名付けるのが「少なく」、カタカナ名の和製化が「多い」とか…「伝統的と感じさせるもの」への無関心、それらをキッチュ化してしまうプラスの面。「社会的流動化の一現象」として「下流化」はあるが、彼らが昨秋の総選挙で投票行動に動いた(とりわけ自民党に)をプチ右翼だと批判するのは、簡単すぎる話であって、むしろ「新しい(表現)行動が生まれる可能性もあると見た方がいい。
「上昇志向、脱出志向」の不在は、前世代のような「成功モデル」(故郷を捨て大学へ入り、大きな会社へ入って〜「農村」から「都市」への移動)が見当たらないという意見。(農村〜郊外の「東京化」ミニ消費都市化)の進行化の中で「見つけられないモデル」を捜しあぐねていて「成功姿(例;ホリエモン)」が近接するや写メール片手に蝟集する姿はよく見たが、群がる<中心>が「テレビで見たことがある人」になっている。「成功の姿」はテレビ化された「人」か。【T】