★JASRAC日本音楽著作権協会の著作権料問題について

 
 ちょっと旬を過ぎてしまいましたが、最近知り合いのミュージシャン
が、かなり怒っていたので、JASRAC日本音楽著作権協会著作権料問題について触れてみたいと思います。
 JASRACの規約を見てみると解りますが、これは相当いやらしい締め付けです。とても音楽をやっていた人達が決めた事とはおもえません。美術、デザイン系では逆に締め付けがなさすぎる状態ですが、べつに文句が出てくるわけでもないし、発信元の優秀なデザイナー、アーチストは普通に社会、業界には重宝されて、そこそこ儲けています。要するに音楽は大金が動くから、音楽家をとりまく、守銭奴が「金取れるぞ」とそそのかしているのでしょうね。
 問題は、金に縁のない音楽家までがその射程にはいってしまっていることです。貧しい音楽家を守るための法律だというのは全くの方便でしょう。ライブハウスや喫茶店までもから現金を徴集して、本当に作者にちゃんとお金が振り分けられているんでしょうか。どう考えても、巧妙にお偉い方々の懐を潤しているだけなんじゃないかと思ってしまいます。
 ただ、日本人の視聴者の側の音楽的感性にもおかしいと思うところが多々あります。極端な事を言えば、音楽は本来演奏するものであって、聞くものではありません。例えばフォークソング(民謡)というのは民衆のもので、ある意味反権力的性格をもっているし、皆で演奏することは、小規模な共同体の共同幻想を造り出します。要するに、人間的な何から離れた時、人は歌を唄わなくなり、いつのまにか音楽は、それを「司る」側と「信仰」する側に別れてしまったのです。そういう風に感じていない人の方が多いと思いますが、実は、現代社会では、巧妙に「歌」を唄うことが、禁じられているのだと思います。あるいは唄う場所と曲を限定されているのだと云うべきかもしれませんが、それはべつに権力からの圧力によってそうなったというのではなく、皆の了解の下、近代化を望む我々自身が、そのような社会に「した」のです。後進国には、豊かな「歌」の社会が残っているでしょ?
 音楽は、根本的に「魂」に触れるものであり、それは個々人全てに内在するものだから、巨大産業となり、大金が動くのは当然です。しかし配信されてくる音楽のほとんどが、「新興宗教」的な、例えばメッキの金の仏様を「拝」ませるようなものばかりで、「魂」とは無縁のところにあると思います。魂と無縁だから、新たな「カミ」を探し続け、結果巨大産業にさらに膨れ上がる。これはもちろん日本に限ったことではないし、ある意味しかたのないことですが、すくなくともそういうことに自分達が気付かずにいるのだということは認識しておく必要があると思います。
 ★次次回のわいがや2では「ウェッブ進化論」についての議論になるようですが、リナックスを見習って、あらゆる著作権をフリーすれば、芸術の世界にも、なにか新しいものが見えてくるかもしれませんね。 【M】