●;「わいがや;②」は『マンガ嫌韓流』をテーブルに

●;4/26日の「わいがや;②」では『マンガ嫌韓流』(普遊舎)を取り上げた。
▽;参加者は池田光一さん(東山出版)、石川公彦さん(明大経営学部講師)、木村文哉さん(格闘技ライター)、金昌祐さん(パワーボール)、鈴木謙一さん(しるく舎)、森利行さん(あとりえアイ)、倉内慎哉さん(日新報道)の各氏とCCG側からは高岡武志という面々。
テクスト批評」の一例として発案した人のモチーフは、05-7月発刊後30万部のベストセラーを主要メディアが取り上げなかった黙殺の指摘である。「ネット言説空間」の存在を無視していると言いたかったようである。だが「ネット上から生まれた出版物」に既存メディアがとりあげなかったことを非難しても、マスコミに過剰な期待と過剰な反発をするのは世の倣い?だが、その延長線上での話ではつまらない。権威ある学者とか言論人のお墨付きを期待するよりもこうした表現物が新聞社-テレビ局-(大手)出版社-映画会社〜といった旧来の秩序(=制度的な)「コンソーシアム」の価値基準の枠内に納まらない現象とも言える。また「黙殺批判」がネット上でも多く行われた例は『電車男』(新潮社)でもそうだったが「マス・コラボレーション」の一例と見える。ただ「マンガ表現」として優れているとかの論述はなかった。
●;「諸々の権威を凝集させている言論機関」が権力と通底し御用機関にならざるを得ない側面と「少数意見、マイナーな運動」を黙殺するのは常態(=当たり前)で枚挙に暇がない。
●;本のヒットの裏側(あるいは分析的意見としては)、
①;時事的な問題をマンガで表現し続けてきた小林ヨシノリに影響を受けた人々が「いる」(旧世代とは違うリテラシーを持った人々の存在は明らか)。
②;「韓流ブーム批判」のモチーフは、「冬ソナ」の主演俳優らに憧れて訪韓したり、写真集などを買う中高年女性たちが気に入らない、その辺の「嫌悪」が根底にあるようだ。(「お前さんたちがキャアキャア騒いでいる韓国ではずっとあんたたちの知らない<反日>教育が行われているんだよ」という論調)。韓流現象を<苦々しく>近親憎悪している。戦後、進駐軍米兵にぶら下がっていた「パンパン嬢」を蔑しんだ当時の国民と同じ<性>を媒介にした嫉妬感情である。04年W杯サッカー以降韓国は「近い国」として同レベルに並ぶのがイヤなのである。「近代的」でない韓国に「近代日本」からの視点で、サムスン現代自動車の台頭すら認めようとしないナショナルな感情が芽生えている。
③;「嫌韓感情が」日本人に「ある」のは「朝鮮人は怖い」という都市伝説的DNA的な記憶が埋め込まれているのではないか(関東大震災時の朝鮮人虐殺、戦後ブラックマーケット(闇市)成立時の畏怖感情か。「金正日政権」の前近代性を嗤ってはいるが、李承晩政権成立以来の冷戦構造に組みこまれた韓国北朝鮮政治史の「権力基盤の脆弱さ」と「前近代性」は「対」になっている「現代史」への想像力が必要だ。また、「いいもの」(=文化)は、すんなりと国境を超えて受容される。【T】