愚劣!「被害者参加制度」

ccg2008-12-01

 犯罪被害者や遺族が加害者の刑事裁判で被告人質問したり、求刑意見を述べたりする被害者参加制度が12月1日、改正刑事訴訟法の施行に伴いスタートするそうです。しかしとんでもないことを行政は考えるもんですね。被害者は、そうとう複雑な立場に立たされることになります。

 たとえば、 光市の母子殺人事件のような世論の注目を集める裁判に、被害者親族として立ち会わざるを得ない状況になったとしたら。おそらく、そのような劇場型法廷では、世間の関心に答える為、被害者親族は、必ず何らかの役回りを演じざるを得ないことになります。 当然、事件当初は、気分も高揚し法廷で怒りをぶつけたい、犯行理由を直接犯人に問い質したいと思うかもしれません。しかし、世間の注目度の高い、現実の法廷の場では、被害者親族は冷静でいられるのか、被告に掴みかかるのか、涙ながらに悲しみを訴えかけるのか、世間はその親族の動向を固唾を呑んで見守ることになります。泣き崩れれば世間の同情を買うでしょうし、冷静でいたら、2ちゃんあたりで、「血も涙も無いやつ」などと書かれるかもしれません。
 もちろん、法廷に出廷するしないは、自由です。しかし、場合によっては法廷に出たくないと思っても、世間が許してくれない状況になる事だって充分に考えられます。

 そしてなによりも心配なことは、数十年後、自分の人生を振り返った時に、あの時の自分の怒りが一人の人間の人生を終わらせてしまったのではないかと、自責の念にかられることがないと言えるでしょうか。

 私は、光市の母子殺人事件の被害者親族の本村さんは、そのような劇場型裁判の、最初の被害者になるのではないかと危惧します。 あの事件は、警察、検察、裁判所が誠実に対応していたら、無罪になった可能性さえあります。本村さんは、行政に踊らされて、「怒れる父・夫」の役割を演じさせられたのです。そして見事に日本中の喝采を浴びることになりました。

 そしてこの事件の結末が、もうすぐ始まる「裁判院制度」への最初の一幕であったことは間違いないでしょう。【M】