林えいだい著 『陸軍特攻・振武寮』

ccg2007-11-01

この本は、NHKのドキュメンタリーで多少話題になった、振武寮の話。 振武寮とは、陸軍の神風特攻隊として出撃はしたものの、機体のトラブルや天候不良で帰ってきてしまった、「一度死んだはずの兵隊」を隔離する宿舎だ。 とはいえこの本は、振武寮についてのことよりも、当時の神風特攻攻撃そのものが、いかにいいかげんな作戦だったかということの方に、多くのページが割かれている。

 しかし、この本でいちばん面白いのは、そのような軍上層部がいかにいいかげんだったか、というたぐいのありふれたことではなく、司令官、参謀などの上層部が、妙に特攻隊員達に気を使って、というより遠慮しているように感じられる部分や、隊員達の苦悩に、なぜだかリアリティーを感じないところだ。 ただ、おそらく著者が、この本のタイトルを、 『振武寮』としているのは、死ぬ気で出撃したのに、ろくな飛行機も用意してくれなくて、そのくせしかたなく戻ってくると、振武寮に閉じ込めて、制裁を加えるという、当時の陸軍の理不尽さについて書きたかったのだと思うが、しかし、現存する元特攻隊員や、元参謀のインタビューから感じとれるのは、そのような彼らの日本的で解り易い心理ではなくて、「神風特攻を廻る空間全体」の、─歪み─だ。
 こういう言い方は、当事者の方々には失礼かもしれないが、登場人物全員が、少しずつ狂っている。 それはイスラム原理主義者たちの自爆攻撃に感じられるような、直線的な狂気とはぜんぜん違う、なにか芝居の中で演じられる出来事の様なのだ。 前回にも書いたが、リアルな「死」を廻る事とはとても感じられない。

 僕は常々、第二次世界大戦は、西南戦争の終幕だと思っている。 負けを、つまり「死」を覚悟で、モダニズム(近代)に挑んだロマンティシズムが、壮大な最後を遂げ(ようとし)たのだ。 当時の日本が、五指にも数えられる近代国家でありながら、なぜあそこまで精神主義に走ってしまったのか? 答えはこうだ、「合理主義を追求して勝利したとしても、それは本当に、「日本民族」が勝利したことにはならない」と、われわれの深層心理ではそう思っていたのだ。 例えば、洋才を駆使して勝利した日露戦争に対し、他国からの評価より遥かに低い評価しかしない日本人の感性の不思議さは、こういうところにも現われている。
林えいだい著 『陸軍特攻・振武寮』 東方出版 【M】