「戦勝記念」の日!?

ccg2007-09-04

 9月5日は、新興国ニッポンが、老大国ロシアを破り、ポーツマス条約の調印式が行われた、記念すべき「戦勝記念」の日!、の、はずなのだが、なぜかワガ国にはそれらしい行事も、ニュースも見当たらない。 この時のニッポンの勝利は世界史を揺るがすほどの大事件だったはずなのだが、右翼や保守派の中にも、お国のために戦った勇敢な英霊達の御霊に感謝しようとか、慰霊しようとかという発想はないようだ。 なぜか敗戦記念日の8月15日ばかりに気が往ってしまって、大いに国益のために尽した、誇るべき英霊達にはあまり関心が無いのだ。もちろん、日露戦の勝利を記念するものが全く無いわけではなく、陸戦での奉天会戦の日を、陸軍の日、としているようだし、日本海海戦の日を、海軍の日としているらしい。 しかし、それ以外には、日露戦争の勝利を記念する日というのはほとんど無いに等しいだろう。

 この不思議な社会心理は、というか深層社会心理はもっと真面目に掘り下げないといけないような気がする。 表層、というかはた目から見れば、戦勝の日ではなく、敗戦の日ばかり大騒ぎするニッポン人の姿は、「いつかは旧連合国に意趣返しを!」 と考えているように写ったて不思議ではないし(ほんとはそうかもしれないが)、戦争責任者を今になって英霊だ、などと言っていては、「日本はほんとに近代国家なの?」 と疑われてしまう。 もちろんこの問題は、ニッポンの覇権がどうのこうのというような問題ではなく、純粋に、日本人の精神の成熟度の問題なのだが、それだからこそ、ニッポン人は、ニッポン人の深層にある、ねじれた心理をしっかりと見つめ直さないとだめだと思う。


 例えば、靖国問題で考えれば、靖国神社で戦勝記念行事が行われないのは、第二次大戦までの英霊は、「顕彰」される対象だったのに対して、それ以降の英霊は、「鎮魂」 される対象に変化したからというのが理由で、それは、第二次世界大戦での戦死者に対しては、それ以前の戦死者には感じなくてもよかった、強烈な「うしろめたさ」 を感じているからだろう。 ニッポン人は、太古の昔に聖徳太子の霊を法隆寺に幽閉したように、また現代のように天皇陛下の霊を火葬せず地中深くに埋めてしまうように、ワレワレは第二次大戦の、「怒」れる英霊達を、靖国に幽閉しているわけだ。
その理由はこちらから http://d.hatena.ne.jp/ccg/20070815  【M】(写真は8月15日靖国風景)